24回 アート部門 講評

ありうべき生命観から

アート部門への応募総数は、第23回に比べてわずかに減少している。減ったのは主として海外からの応募である。他方で映像作品の応募数が増えている。この2つを新型コロナウイルスの感染拡大と直接結びつけてよいのかどうかはわからない。少なくとも応募期間の前半はそれとは関係がない。いずれにせよ、このような困難な時期に、全体で前回とそれほど変わらない数の応募があったのは、特筆すべきことと考える。審査にあたっては、コロナ禍だからこのような作品を、という選び方はしていない。あくまで個々の作品が問題である。大賞は、小泉明郎『縛られたプロメテウス』に決まった。この作品は、ALS患者で著書『KEEP MOVING 限界を作らない生き方』(誠文堂新光社、2018)をはじめさまざまな活動で知られる武藤将胤さんとのコラボレーションによるものである。贈賞理由については八谷和彦審査委員によるテキストをご覧いただきたい。私がこれを重要と考える理由は2つある。ひとつはこの作品が、ただ問題を提起して終わる作品ではないことだ。それは、見る/見られる、声と同一性、テクノロジーと身体といったさまざまな関係を用いて、見る者に決定的な一撃を加える。その過程で、見る者をすでに思考へと巻き込んでいる。もうひとつは、この作品が、私たちが向かうべき側からこちらに放たれたもののように思われることだ。アートはしばしば予見的であると言われる。しかし実際には、こちら側つまり現在の科学技術から予測される帰結を未来に投影し、その結果を現在の生命観を基準にユートピア化/ディストピア化していることが多い(あるいは、単なる技術の使用が、アートという名称や解釈者の修辞技巧のおかげで、予見的なものに見えている)。この作品は違う。それは、現在のそれとはいったん隔絶した、ありうべき生命観から、科学技術と社会と倫理の「わずかにその先」を、今すぐ考えるよう促すのである。その生命観には名前も何もない。しかしそれがありうべきであることを信じさせるだけの力が、この作品にはある。優秀賞には多様な作品が選ばれた。ARで見るポップアップブック(Adrien M & Claire B『Acqua Alta - Crossingthe mirror』)、心筋細胞の律動を肉眼で見ることのできる バ イオアート(Nathan THOMPSON / Guy BENARY / Sebastian DIECKE『Bricolage』)、暗闇のなか聴覚を通して体験する映像作品(See by Your Ears(代表:evala)『Sea, See, She - まだ見ぬ君へ』)、ウィンチで巻き上げられたディスプレイ5台がスウィングさせられるただそれだけの作品(Stefan TIEFENGRABER『TH42PH10EK x 5』)。しかしいずれの作品も、テクノロジーと身体・生命の問題を、それぞれ別の観点から問い直していると言うことができる。新 人 賞 の3作 品(小 林 颯『灯 すための 装 置』、Ka itoSAKUMA『Ether - liquid mirror』、小宮知久『VOXAUTOPOIESIS V -Mutual-』)は、各々が、アニメーション、面振動、記譜法といったメディアの新たな探究を試みている点で、受賞にふさわしいと思われる。ソーシャル・インパクト賞(Simon WECKERT『Google Maps Hacks』)は、SNS等で話題になったものなので、ご記憶の方も多いだろう。審査を担当していた3年のあいだには、さまざまな出来事があった。ひとつだけ記しておきたいのは、作品はリアルに体験してもらうことがなによりも重要だという、ごく当たり前の事実である。阿部一直・前審査委員をはじめ誰もが展示の一層の充実を目指していたにもかかわらず、前回はそれが果たせなかった。今回こそ、リアルな環境下でのパフォーマティブな展示ができるよう願っている。その一方で、爆発的なまでの、場所を共有しないタイプの「ランディングサイト」は現れえないのか、という気持ちもある。実はすでに現れているのかもしれない。今後それが浮上してくることを期待したい。

プロフィール
秋庭 史典
美学者/名古屋大学准教授
名古屋大学大学院情報学研究科准教授。専門は美学・芸術学。20年近く数学者、生物学者、計算機科学者、複雑系科学者、認知科学者、心理学者、科学哲学者、ロボット倫理学者、情報哲学者などに囲まれながら仕事をする。「情報」「生命」という観点は広範かつ多様な分野の学者と共有することができるため、そうした観点から美や芸術について考えることを心がける。『あたらしい美学をつくる』(みすず書房、2011)の出版を通じ、制作者と話をする機会が増える。