17回 アート部門 講評

「現在」芸術としてのメディア芸術

今回、多くの作品を審査していくプロセスは、望外の喜びを与えてくれた。個々の作品の素晴らしさはもちろんのこと、さまざまな地域や表現メディアを超え共通する、同時代の精神のようなものに触れることができたからである。「メディア芸術」といういまだ聞き慣れないカテゴリーの印象に相反して、応募された作品たちは、現代アートのほとんどの領域をカバーしていると言っても過言ではない。むしろ、世界各地で開催されている著名なアートイベントなどより、その門戸は広いのではなかろうか。だからこそ、作品に共通する何かを見出していくことは、メジャーなアートシーンとはまた異なった、アートの現在形を発見する刺激的な経験であった。特に印象深かったのは、現代のグローバルな社会的、政治的現実に直結する作品が多かったことである。優秀賞を受賞した『Dronestagram』や『The Big Atlas of LA Pools』、さらには推薦作品『outsourced views / visual economies』など、ビッグデータやクラウドソーシングをそのテーマや手法として取り上げた作品に、強い共感を覚えた。もちろんアーティストたちはそれらを「新しい公共財」として、素朴に扱っているのではない。むしろそれらが国家権力やグローバル企業などの新たなスピンオフに過ぎない現実を、冷徹に指摘しているのだ。新人賞の『Learn to be a Machine | DistantObject #1』は、観客を含めたユーモラスな手法によって、いわばメディアアート批判を行うものであるが、それが現代のメディア・テクノロジーと相互監視社会のシニカルなシミュレーションにまで昇華されている。また、グラフィックアート(デジタル写真を含む)に優れた作品が多かったことも印象的であった。通常の写真展などではまず見ることのできない実験的な表現や、ペーパー・メディアならではの作品が多々あり、新鮮であった。一方、残念だったのは、日本人アーティストの作品がやや生彩を欠いていたことである。アイデアは奇抜で斬新なものもあるが、総じて「メディア芸術」というカテゴリー内にこぢんまりと収まっており、他国の作品と比較すると脆弱に感じた。月並みな表現ではあるが、作品があまりにも抒情的であり、たとえば『Situation Rooms』などの叙事的な作品に対して見劣りする。これは再三指摘されてきた、われわれの文化的風土の問題でもあるのだろうが、それが現在のメディアアートにも顕著に表れていることは興味深かった。審査中、いくつかの問題点も浮上した。たとえば山口情報芸術センター[YCAM]が応募した制作支援のためのアプリケーション『Reactor for Awareness in Motion( RAM)』。それが新たなアート作品の制作に資するものである以上、自律した作品ではないと単純に排除してよいものかどうかが問われた。今後の検討が必要であろう。更に、映像作品に、ナラティヴで、また一時間を優に超える上映時間のものが多かった点。いわゆる純然たる映画と、あるいはドキュメンタリー作品との境界をどう考えるのか、意見が分かれるところがあった。近年、内外の美術館などで、展示作品、いわゆるインスタレーションとしてこうした映像作品が積極的に取り上げられている動向を鑑みながら、柔軟に対応していく姿勢が求められよう。最後になったが、応募いただいた多くのアーティストはもとより、今回より作品選考に携わっていただいた選考委員の方々に感謝申し上げたい。

プロフィール
後々田 寿徳
キュレーター/梅香堂オーナー
1962年福井県生まれ。法政大学大学院修了(社会学)。福井県立美術館、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸員、東北芸術工科大学学芸員課程専任講師などを経て、2009年より大阪でギャラリー、梅香堂を運営。名古屋芸術大学非常勤講師。おもな展覧会・プロジェクトに「日本のポップ─1960年代」(福井県立美術館、92年)、「世紀末マシーン・サーカス(SRL日本公演)」(ICC、99年)、「E.A.T.─ 芸術と技術の実験」(ICC、2003年)他。