19回 アート部門 講評

オールド・メディアの想像力

メディア技術の進化はとどまることを知らない。たった10年程前には、世の中の多くの人が通信機能付きハンドヘルド・コンピュータ─すなわちスマートフォン─を手に、街を歩いているような状況など想像もつかなかった。人間自体はさして変わっていないのに、メディア技術の環境自体はどんどん変わり続けている。
しかし、今回のメディア芸術祭アート部門において受賞した作品を見ると、必ずしも最新のメディア技術を使ったものが評価されたわけではない。むしろほとんどの作品は、相当前からすでに存在していた技術を利用している。例えば優秀賞の『The sound of empty space』は、ありふれた素材=物質─マイク、スピーカー・コーン、モーターなど─をブリコラージュ的に組み合わせて、空虚(に見える)空間をメディアとして意識させる作品であった。
新人賞を得た2作品、『Gill & Gill』と『Communication with the Future - The Petroglyphomat』にいたっては、ともに太古から人が向かいあってきた物質でありメディアでもある「石」を主題の一部にしている。人類文明の黎明から、石はイメージやテクストを刻印するためのメディアであった。しかし、それは硬く、線を彫り込むには労力や熟練が必要である。石に文字を彫り込むこととは、石という物質の物理的な抵抗を手で感じながら─会話しながら─行なう行為であろう。すなわち、石はメディアとして受動的に情報を載せるだけではなく、物質として能動的に人間に働きかけるのである。ここにおいて、人と物質は一方的な関係ではなく、双方向的な関係を取りむすぶ。ここに見られるような物質や技術が行為者として人に働きかけるという視座は、近年の社会や文化に関する諸理論があきらかにしていることである。
時が経つにつれ、人はより加工しやすく、扱いやすい物質をメディアとして採用するようになる。
粘土板や甲骨、そして紙の発明を経て、20世紀の終わりにはデジタル・メディアが登場する。現代に近づくにつれ、メディアの物質性は希薄になっていくが、なくなってしまったわけではない。少なくともハードウェアは、物質として私たちの眼前に存在している。大賞に選ばれた『50 . Shades of Grey』では、6種のプログラミング言語によるソース・コードが額装され、展示される。ハードウェアの心臓部で行なわれている演算は、私たちの眼には見えないし、素人の理解の範疇外にある。私たちに見えるのは、ディスプレイ上でのイメージやテクストだけであり、それらをつなぐのがプログラミング言語である。斎藤環がCGアニメーションにおけるイメージ/プログラミング言語/機械をそれぞれジャック・ラカンのいう想像界/象徴界/現実界に比定したこと★1を思い起こすなら、展示された文字列は、デジタル・イメージの象徴界、すなわち無意識とも考えられる。デジタル・イメージの精神分析ともいえるこの作品は、作者の人生と重ね合わされることによって、テクノロジーと人との相互作用を可視化させていると読むことも可能であろう。
メディアアートの起源を1960年代とするならば、その歴史はすでに半世紀はゆうに経っていることになる。『50 . Shades of Grey』は、その歴史を主題とした作品であるし、若いアーティストたちにとっては、すでに陳腐化したメディア・テクノロジーは、新奇な着想を引きだす源泉となるだろう。SF作家ブルース・スターリングは、1995年に「デッド・メディア・プロジェクト」を提言した。さまざまな絶滅した(デッド)メディア─デジタル以前のフェナキスティスコープなども含む─を記録する書物、「メディアの死者の書」を編纂しようと提案するスターリングは、「私たちが必要としているのは、陰鬱で思索的、詳細でごまかしのない、痛ましくさえある書物であり、それは死したものを讃え、今日のメディアに媒介された狂乱の精神的祖先を蘇生させる」と述べる★2。浅野紀予は「あるデッドメディアがなぜ滅んだのかを考えることは、それが生き残ったかもしれない『あり得た未来』を想像するきっかけとなる」★3と注解するが、今回の受賞作に見られる回顧的な傾向は、このようなSF的と言ってもいい想像力への志向と考えられるかもしれない。

★1─ 斎藤環『生き延びるためのラカン』(ちくま文庫、2012)

★2─ Bruce Sterling, "The DEAD MEDIA Project: A Modest Proposal and a Public Appeal", The Dead Media Project (www.deadmedia.org/modest-proposal.html、2016年1月10日アクセス)より筆者訳

★3─ 浅野紀予「デザイン・フィクションとデッドメディア」、『ÉKRITS〈エクリ〉』2015年6月8日(ekrits.jp/2015/06/1659、2016年1月10日アクセス)

プロフィール
佐藤 守弘
視覚文化研究者/京都精華大学教授
1966年、京都府生まれ。コロンビア大学大学院修士課程修了。同志社大学大学院博士後期課程退学。博士(芸術学)。芸術学・視覚文化論専攻。著書に『トポグラフィの日本近代─江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』(青弓社、2011)など。最近の論文に「産業資本主義の画像=言語─写真アーカイヴとセクーラ」(『PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭2015[公式カタログ]』、2015)、「キッチュとモダニティ─権田保之助と民衆娯楽としての浪花節」(『大正イマジュリィ』11、2016)など。翻訳にジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』(共訳、青弓社、2010)など。第62回芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論等部門)受賞。