19回 アート部門 講評

「メディアアート」の呪文

メディア芸術祭アート部門の審査に加わり今年で3年めとなったが、今年の審査もこれまでとは異なる意味で強い印象を抱く年となった。
大賞をはじめとした各賞、そして推薦作品を選出するためには、応募作品各々について審査委員と議論を交わすのが基本的な審査の姿である。例えば前回のアート部門では、応募作品が全体的に小粒な印象に留まり、その前年までの作品にあったような圧倒的な強度を持つ作品が見あたらず、審査委員の総意として残念ながら大賞なしという結果に終わった。
今年はこのような各作品についての評価に加えて議論となったのは、私をはじめ少なからずの審査委員が抱いている疑問についてであった。つまり「メディア芸術」のアート部門とはいったい何を対象とすべきか?「メディア」、「メディアアート」とは何なのか?という非常に根源的でありながらも、明確な定義を見出すことが非常に難しくなってしまっている点であり、さまざまな問いかけが審査過程で噴出した。
最終的に大賞にはCHUNGWaichingBryanの『50.ShadesofGrey』が満場一致で決定する結果となったが、これは長時間に及ぶメディア芸術そしてメディアアートの定義に対する議論があればこそだったと思う。そうして導き出されたこの結果には、われわれ審査委員からの今回の審査に対するメッセージを込めることができたと考えている。つまり私たちが考えるメディア芸術祭アート部門を構成するメディアアートというものは、そもそもコンピュータなどデジタルメディア環境における先端的な技術を取り入れる作品を呼称したものであるということ。先端的であるがゆえに、時代とともに今日の技術があっというまに過去のものにもなってしまうという刹那も含まれるということが、CHUNG自身のアーティスト人生を重ね合わせるように、この作品に見出すことができた。
現在のメディア芸術祭のアート部門に応募される作品は、「デジタル」技術を用いてつくられたアート作品と定められており、応募者は各自の作品をインタラクティブアート、メディアインスタレーション、映像作品など7区分のいずれかに応募することとなる。

さてここで映像である。
今回も映像作品はアート部門でもっとも応募数の多かった区分であり、映像インスタレーション区分を加えると850点を超える。優秀賞を受賞した『Gill & Gill』はもちろん、坂本夏海の『unforgettable landscape (ROWAN TREE)』やValentina FERRANDESによる『Other Than Our Sea』、Tony HILLの『Spin』をはじめ、多数の優れた映像に触れることができて審査員冥利に尽きる、の一言である。このような悦びを感じる一方で、メディア芸術祭における映像、映像インスタレーション区分の問題も感じている。それはこれらの区分に応募される作品を見ていると、映画祭、映像祭の様相を帯びてきているのではないか、という点である。
市中の映画館で上映される映画が、もはやフィルムではなくデジタルによるものであることは周知の事実であるように、映像作品のほとんどは「デジタル」で制作されている。今年に始まったことではないが応募作品のなかには、すでに海外の国際映画祭で上映された上質な作品も見られた。また1時間を超える長尺作品の応募もあれば、作品内容もストーリー性を持つものやドキュメンタリー作品の要素が非常に強いものなど多岐に富む。
ビデオアートがメディアアートの一角を成すことは間違いないし、メディア芸術祭において映像、映像インスタレーション区分を否定するわけではないが、昨今応募されている映像作品の傾向を考えればほかの区分作品と同じ土俵で審査するのにも限界を感じる。
来年、メディア芸術祭は20周年を迎える。時代そして技術の変遷・進化は、アーティストの表現様式には大きな影響を与えるが、芸術祭もその変化を敏感に汲み取るイベントとなって欲しい。

プロフィール
植松 由佳
国立国際美術館主任研究員
香川県生まれ。1993年より丸亀市猪熊弦一郎現代美術館勤務を経て現職。現代美術を中心に国内外で展覧会を企画。主な展覧会に映像作品によるグループ展「夢か、現か、幻か」やヴォルフガング・ティルエイヤ=リーサ・アハティラ、マルレーネ・デュマス、マリーナ・アブラモヴィッチ、草間彌生、ヤン・ファーブルの個展など多数企画。第54回ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(作家:束芋)、第13回バングラデシュ・ビエンナーレ日本参加コミッショナーを務めた。