17回 受賞作品アニメーション部門Animation Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 森本 晃司
    現実に無い物を作り出せる場所
    学生もプロフェッショナルも、日本も海外も、予算の多寡も規模の大小も関係なく、優秀な作品のみが同じ土俵で正当に評価される審査に立ち会えたことが非常に興味深かった。海外作品の受賞はこれまであまり多くないが、今年は『はちみつ色のユン』が大賞となった。作者の生い立ちを通して、アイデンティティの不安定さを、バンド・デシネ(フランス語圏のマンガ)作家ならではの特徴ある色合いで、丁寧に表現した作品である。CGを基調としながらも8mmフィルムの実写や写真を組み合わせ、表現のために技法に固執せずバランスよく取り入れている点を評価したい。空に落ちてゆく不思議な感覚に満ちた『サカサマのパテマ』は"逆転の発想"をコンセプトとして、うまくエンターテインメント作品に仕上げていることが印象的だった。短編作品の『ゴールデンタイム』は、"何処にでも自分の居場所はある"ことに気付かされ、ストーリーそのものもシンプルに楽しめた。また、相容れない世界に住む二人を綿密に描いたファンタジー作品『Premier Automne』、視覚を「視欲」として空間の移動を楽しませる『Airy Me』などが印象に残った。短編アニメーションは、商業アニメーションと比較すると作家性を全面に出せる分野だが、最近では作家性が高いだけでなく、エンターテインメント性を強く感じられる作品も多い。ただ、もっとオリジナリティの強い作風があっても良いと思う。作品は「作り手の叫び」として存在して欲しい。アニメーションは"現実に無い物を作り出せる場所" である。飛べないものを飛ばせたり、宇宙や細胞を描いたり、何次元までも無限の表現が可能な場である。そこでぶつかる壁を突破するには、足し算で積み重ねる表現より、引き算のアイデアから生まれる表現が有効であろう。俳句・短歌のような表現や、モノに満ちあふれた現在の都市社会とは異なる場所に、何か大事なヒントがあるのかもしれない。
  • 和田 敏克
    アニメーション作家
    アニメーションの自由さ
    本年度、短編アニメーション部門の応募(511点)で、海外作品(297点)が国内(214点)を大きく上回ったことは喜ばしい。元よりこの部門は、アニメーションであること以外、国籍はもちろん、プロ/アマ、長編/短編(作品の長さ)さえ全く問わない、開かれたコンペティションであり、そのような特質を持つ"国際コンペ"として、海外にもしっかり根付いてきた証といえるだろう。結果、受賞作品及び審査委員推薦作品は、いずれが賞を獲ってもおかしくなく、国際的水準で質の高い作品が集結すると同時に、そのバラエティ豊かな「自由さ」を感じる見事なセレクションともなっている。短編だけを眺めてみても、まず国内では、『WONDER』(水江未来)、『Anomalies』(和田淳)、『かまくら』(水尻自子)など、内容的なカテゴリー分類を軽々と超越してくれる個人作家作品と並び、商業映画スタッフがそれぞれに味わいを込めて制作したスタジオワーク短編『寫眞館』(なかむらたかし)、『キックハート』(湯浅政明)、『陽なたのアオシグレ』(石田祐康)の完成度とパワーも素晴らしい。また海外作品では、近年、学生作品を中心に、かっちりとした職人的技術の質の高さが光っており、今回の『GrandFather』(『GrandFather』制作チーム代表Kim Minwoo・韓国)、『Semáforo』(Simon WILCHES-CASTRO・アメリカ)、『Premier Automne』(Carlos DECARVALHO/Aude DANSET・フランス)も、その好例といえる。そうした堅実さの一方で、まさに「ぶっ飛んだ」という表現が相応しい、新人賞の久野遥子や姫田真武、推薦作品のししやまざきや冠木佐和子ら、国内の若手個人作家や学生の度肝を抜く作風も必見だ。総じて、文化庁メディア芸術祭の面白さは、短編/長編、国内/海外、個人作家/商業スタッフといったような二極分類にあるのではなく、その先の「横断」「融合」「ジャンクション」を見据えた視点にあると思う。テレビメディアからの委託で「古事記」の世界を描いた山村浩二の『古事記 日向篇』、ベテランスタッフとともに堂々たる「短編映画」を完成させてくれた稲葉卓也の『ゴールデンタイム』は、制作体制やメディアに即して決定されない、アニメーションの「自由さ」を実感させてくれる。今回、『はちみつ色のユン』は、まさにその意味で、国籍、手法、長短編の枠を超えた、大賞にふさわしい傑作なのである。
  • 杉井 ギサブロー
    日本のエンターテインメント作品の挑戦に拍手
    私は劇場アニメーションとテレビアニメーション分野の審査を主に担当した。これらの分野への応募総数は76編で、そのうち59作品が国内からの応募だった。大賞は海外作品が受賞したが、日本のアニメーションの作品世界は、CG技術の向上もあって、表現力がますます高くなっているという印象を抱いた。しかし一方で、劇場、テレビアニメーションの応募作品は、既になじみのある監督による作品が多かった。それらは完成度は高いが、新鮮な作品に出会えたという感じがしなかったことは少々残念だった。それに比べて短編作品は、海外の作家からの応募も多く、アニメーションの技法や内容が幅広く、とても興味深く観せてもらった。劇場やテレビで公開されるエンターテインメント作品は、時代の要請という要素もあり、短編作品のような自由な創作が難しい条件の下で製作されている。そうした中で、優秀賞として選ばせてもらった作品の監督及びスタッフの挑戦的な姿勢に拍手を贈りたい。CG技術の向上とともに、作品の完成度を高める方向性が同じようになってしまう危惧はあるが、それを超える物語の面白さで日本のエンターテインメント・アニメーションの更なる牽引を期待したい。
  • 小出 正志
    アニメーション研究者/東京造形大学教授
    審査を終えて思ういくつかのこと
    文化庁メディア芸術祭は創設から17年の歳月を重ねたが、アニメーション部門において「劇場アニメーション/テレビアニメーション/オリジナルビデオアニメーション(OVA)」(以下「劇場・テレビ」)と「短編アニメーション」(以下「短編」)の二つの審査区分があるものの、劇場用長編と1エピソードとしては短編作品でもあるテレビシリーズのアニメーションを同一に、また自主制作による作家アニメーションと商業的な業務委託作品(コミッションドフィルム)などの短編アニメーションを、同じ区分で審査する点に大きな問題があると感じていた。しかし実際に審査に関わってみると、プロフェッショナルとアマチュア、学生といった立場や製作目的、上映・視聴時間の長短といった分節を超えた、世界の映画祭でもあまり例がないと思われるような混成型のカテゴリーの良さも実感した。最終審査会では両審査区分を超えた「アニメーション部門」として総合的な審査がなされることで、アニメーションの総合性や多様性、層の厚さや裾野の広がりといったことにも十分配慮することができる。アニメーションの多様化が進む中で、今後、既存の形式・内容、表現を超えた作品が登場した際にも対応しやすいことは、一種のアニメーション映画祭としてこの部門を見た場合、ひとつの特色、どちらかといえば長所ではないかと思うに至った。もちろん異論や批判も十分理解できる。この先の十年二十年を見据えるなら、審査の難しさの緩和・解消や公平性・客観性の担保のために、不断の努力が必要なことはいうまでもない。その努力が前述の特色を明らかな長所に育てるのだと思われる。アニメーション部門の応募総数587編は過去最多で、特に「短編」の511編は一般の国際アニメーション映画祭と比べても遜色なくむしろ誇るべき数字であろう。一方で「劇場・テレビ」の76編は確かに数としては多いが、2012年度の日本の新作テレビアニメーションタイトル数が159であり、同じく劇場用の新作タイトル数が59★であることを考えると、必ずしも多くはない。内容的にも「短編」はこの1年間に評判となった作品の多くが出品されていたが、「劇場・テレビ」は必ずしもそうとはいえない。この芸術祭が公募制を採っている以上、やむを得ないこととはいえ、この分野の振興や贈賞の公平性や妥当性などといった観点に立てば、今後に課題を残している。応募作品は「劇場・テレビ」ではやはり国内作品中心となったが、「短編」の応募には国際的な広がりがあり、この芸術祭のアニメーション界における国際的な定着が感じられた。前者でも大賞受賞作のように優れた作品が国内配給会社からではなく製作側から直接応募されるなど、この区分でも同様に17年を経たメディア芸術祭の高い国際的認知度を示したといえる。両区分いずれも1990年代以降進展著しいデジタル化が完了し、技術面だけでなく表現においても成熟してきた観がある。メディア芸術祭の17年は、デジタル化されたアニメーションの深化の17年でもある。フィルム時代には得られなかったそのクオリティが恩恵をもたらしているのは、「短編」の個人作家作品や学生アニメーションはもちろん、「劇場・テレビ」においてもである。欧米流のフォトリアリスティック(写実的)3DCGやデジタルパペットアニメーションとは異なる、日本のお家芸とされる2Dアニメーション=デジタルセルライクアニメーションでも、3DCGや2Dデジタルは費用対効果、表現拡張の両面で大きな貢献をしているからだ。従来のアナログ的技術は複数の技法・表現の統合に難点が残るが、デジタルアニメーション技術の成熟は、セル画的な表現と3DCG的表現、あるいはドローイング&ペインティングとパペットやオブジェクト、カットアウトなどを、ほとんど違和感のない形でシームレスに統合化し融合させることを容易にしたということを改めて感じた。今回の審査委員会は「短編」領域の作家2名と「劇場・テレビ」領域の作家2名、その間を橋渡しする形で私が関わり、また双方合同の最終審査会も美意識・価値観やアニメーション観の極端な差異もなく、それぞれの規範を尊重しつつお互いの立場や意見を生かした議論ができ、公正かつ適正な審査がなされたといえる。その結果、大賞には歴代贈賞作品の中でも異質ともいえる作品が選ばれ、優秀作品等も新たな才能に多く贈賞されたと考えている。★─一般社団法人日本動画協会独自集計より
  • 大井 文雄
    アニメーション作家
    予測不能な方向への新たな可能性
    近年日本の若い作家たちの元気がよいのは見知ってはいたが、初めてメディア芸術祭の審査委員を務めてその実態を目の当たりにし、それら作品の質の高さもさることながら、その作品数が多いことに驚かされた。短編に限って言えば、新人賞をとった3作品はもちろんのこと、推薦作品にも、今回惜しくも選外となった作品の中にも若い作家たちの力強いエネルギーを感じ取ることができた。「若い=新しい」と単純に言ってしまっては正確ではない。『ようこそぼくです選』の作者などは、新しさに加えて異質性を感じる。アニメーションを作る人間の気質そのものが、明らかに従来とは変わってきていると言えるのかもしれない。映像も音楽も、その他表現に必要なものすべてを、一個人が発信する。制作方法のデジタル化が、作品全体を個人作業によって完結させることを可能にはしたけれど、ここまで自在に表現されてしまうとは驚きである。このようにマルチな能力による作品に出会ってみると、表現手段としてのアニメーションが持つ更なる可能性を見た思いがする。全般的に見て、日本の若い作家の作品は心の内面にうごめく曖昧な何かを見つめようとするものが多く見られた。舌足らずな感も無くはないが、かえってそれが個性的な作品となっている。対して海外から応募された作品には、明確な映像表現の意思と、その見せるワザを意識しているプロを自覚した作品傾向が見られる。ただし、日本の作品の中にも『ゴールデンタイム』や『WHILE THE CROW WEEPS ―カラスの涙―』などは安定感のある作り方で味わい深い作品となっていた。大賞の『はちみつ色のユン』は社会性のあるテーマを持った作品がほとんど見られない中で際立った存在であった。エンターテインメント性を優先する多くの日本のアニメーションを制しての大賞である。このような長編作品が生み出された意味と、作品の企画から制作、そして発表までを可能にするアニメーション文化のあり方について考えさせられた。