21回 受賞作品エンターテインメント部門Entertainment Division

大賞

優秀賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 遠藤 雅伸
    ゲームクリエイター/東京工芸大学教授
    技術の使い方の多様性に感心!
    今回が2回目の審査になる。昨年は、エンターテインメント部門の異種格闘技的な混沌さに驚いたし、自らがゲー ム産業をキャリアのベースにしているので芸術の概念に疎く、エンターテインメントと芸術の線引きに苦労した。その経験から、今年はエンターテインメントと芸術を、ベクトル量的に考えて審査に当たったのだが、ガジェットにどちらの枠にもはまらない良作が多数あり、再び勉強させられた。『Pechat』は無線技術を使ったいわゆる「ごっこ遊び」だが、使う親の創造性を喚起するツールであり、使い方次第で子どもをいくらでも騙せる両刃な面を持つ。サンタクロースの実在を信じさせるのと同様、成長とともに子どもが気付いた時に、親子のコミュニケーションの大切な思い出となりそうで微笑ましい。『MetaLimbs』はロボットアームの応用であるが、ハプティクスの技術で操作性が向上しており、自己主体感だけでなく身体所有感を感じさせるレベルの身体拡張を予感させる。さまざまな道具や乗り物で「手足のように」という使用表現があるが、まさに手足そのものとなる感覚はエンターテインメント性も高く、超人スポーツを始めゲームに上手く取り入れれば大ヒットは間違いないだろう。『Qoobo』は「しっぽ」の動きだけで何かを伝えるコンセプトが素晴らしい。大賞の『人喰いの大鷲トリコ』も動物の動きをシミュレートしており、同様の体験がアクティブに得られる。一人暮らしの高年齢層が、音声応答する家電製品と会話する日常が報告されているが、『Qoobo』 にはそれを超えて癒されるシーンが見え、語らずに何かを伝えるナラティブとしての可能性を感じる。いずれも日本ならではの着眼点で、今後も予想を超えた作品が現れるに違いない。エンターテインメントの表現は、時代によって変化していくものだが、特にメディア芸術では新たな技術が、新たな可能性と今までにはない体験を生む。今後も作家諸氏のイメージの多様性に期待したい。
  • 工藤 健志
    青森県立美術館学芸員
    ポップ/テック/ トピック
    アート部門の選考委員として2年、エンターテインメント部門の審査委員として3年の計5年にわたり本芸術祭に関わらせてもらったが、正直に告白すれば、僕は模型や玩具、本などに囲まれることで幸福感を抱く極度の物質愛好者である。これは美術史を専門とする人間の文系的なマインドセットなのだと観念(化)して自己防衛を図ったりもするのだが、そんな人間が「コンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」とこの5年どう向き合い、何を考えたのかについてちょっと記してみたい。 我々はバーチャルとフィジカル、デジタルとアナログを対立的な概念と無意識のうちに捉えがちだが、実は単に表現と伝達の手法が異なるというだけで、もちろんメディアの形式に対しての好き嫌いはあるにせよ、人間が知覚する情報としての差異はない。であるからデジタル技術の発展にともなってニューメディアを用いた表現が現れるのも当然であるし、だからと言って古典的なメディウムを用いた表現と区別する理由も本来はないのだ。しかし、現代という時代とそこに生きる人々にアプローチし、人間、社会、歴史に対するさまざまな問題を浮かび上がらせていくコンテンポラリーアートと、自然現象や人間存在の本質、社会の仕組みを探求するサイエンス、そしてその理論を実用化し、社会へ実装していくテクノロジーとの協働を、デジタルに基盤を置く先端メディア表現が容易にしたことはまた確かであろう。この表現形態はそれぞれの領域が不得意とする要 素を相互に補完し、人間や社会に対する問いかけをよりロジカルに、より実践的な形で機能させていく。専門分化した研究領域を「作品」という形で再統合することで、自己の発見から種としての生態系のビジョンまでをも指し示す、新しい文化領域へと大きく発展してきているのだ。こうした点において「メディア芸術」を独立したジャンルとして支援する意義は充分に見出せるように思う。多くの人が指摘する「メディア芸術」という言葉の曖昧さと、毎年繰り返される出店区分の是非に関する議論もまた、このフレームを越えた表現や価値が次々に創造されていることを逆説的に示すものと言えるだろう。むしろある一定の理論では記述しきれない柔軟な表現の総体こそが「メディア芸術」であると定着づけていいのではないだろうか。AI、ビッグデータ、IoT からゲノム解析やナノテクノロジー、さらにはロボティクスに至るまでエクスポネンシャルに発展を続ける科学技術であるが、一方では常に倫理的な批判にもさらされている。けれどこれまで人類が経験してきた数々の技術革新は、人類の脅威となってマイナスに作用した反面、人間の新たな思考回路を切り開き、新たな文化を築くきっかけともなってきた。未来を無邪気にイメージす ることが困難な今だからこそ、そうした歴史に学びつつ、テクノロジーの社会展開としての「メディア芸術」をとおして人間とテクノロジーのより良き関係性を我々はしっかりと見極めていかねばならないように思う。エンターテインメント部門にエントリーされた作品は他部門に比べ自律性よりも関係性を重視したものが多く、そこで重視される「共感性」には未来を読み解く重要なヒントが隠されていると考え、僕は評価の大きな軸とした。もちろんアイデア、テーマ、コンセプト、表現のセンスやテクニックなど、いずれかが圧倒的に突き抜けた作品は評価すべきであるが、何よりも時代に寄り添う表現には現代的なトピックのみならず、社会や人間の意識のありようなどがさまざまに映し込まれており、受賞作の多くにもその要素は確実に認められる。ゆえに受賞は「結果」ではなく、議論や考察の「出発点」と捉えて欲しい。見る人それぞれの視点で作品から課題を抽出、分析、解釈し、次の時代をイメージ していただけたなら、審査に携わった者としてこれ以上の喜びはない。
  • 齋藤 精一
    株式会社ライゾマティクス代表取締役/クリエイティブディレクター
    未知のモノを身近にする エンターテインメント
    今の時代におけるエンターテインメントとは何なのか? 毎日のようにそんなことを考え続けているのが仕事である私にとって、今年のエンターテインメント部門の作品群は大きなうねりを感じました。ゲームでありゲームではない『人喰いの大鷲トリコ』がエンターテインメント部門の大賞で、その他の技術もメディアや今までの概念やフレームを超越していると思います。新しい技術はさまざまなことを可能にします。メディアやコンテンツ・技術・手法やナラティブを組み合わせることで、時間・場所・体験・立場・文 化・業界・デザイン・価値観・感覚を超越することができます。今年の作品は今までの表現を主体にしたテクノロジーではなく、経験をつくり出すためのテクノロジーのうねりがあり、ゲーム・コンテンツ・プロダクトにも数年前に訪れたこの波が開発などの潜伏期間を経て、ようやく世の中に出てきたと感じました。それは目新しい技術を使っているからの正解ではなく、技術や文化の発展をしっかりと社会に還元することや、時にはその流れに逆らってアナログなモノのあるべき本質が評価される時代になったのだと強く感じました。優秀賞の作品群でも森をメディアの力によって体験コンテンツに変えた『FORESTA LUMINA』、音楽の切り口で町工場やモノづくりのPRを変えた『INDUSTRIAL JP』、おもちゃや知育の概念を超えた『Pechat』、オンラインでのモノづくりにAIの融合を加えた『PaintsChainer』など、どれも境界線を超え、あるべき姿からバックキャスト的につくられたデザインだと思います。エンターテインメントはアート表現よりも生活に近いものだと私は考えます。またエンターテインメントは我々にとって未知のモノに入りやすい"入り口"を与えてくれるものだと思います。今の時代に物をつくっている人はエンターテインメントの無限の可能性を理解し、アップデートし続け、多くの人に驚きを与えるコンテンツをつくり続ける思考回路の変換が必要だと思いました。
  • 佐藤 直樹
    アートディレクター/多摩美術大学教授
    新たな価値軸を 打ち立てるための チャレンジ
    昨年は「メディア芸術のエンターテインメント部門という枠組み自体が限界に来ているのではないか」ということを書いた。「メディア芸術」という設定、「エンターテインメント」という存在、それぞれが大きな力を持っていることに疑いの余地はない。が、問題は、両者を結び付けて評価をするとはどういうことなのか、そこから何を導こうとするのか、という点にあると思えた。すでに多くの人の支持を得たうえで、商業的にも成功し、誰もが「すごい」と言っているものであれば、追って称揚することにどのような意味があるのか。しかし、その問題も含めた論議を徹底して重ね、単一には絞り込みようのない価値軸を提出し合うことで、今の時代に起きている「メディア芸術としてのエンターテインメント」「エンターテインメントとしてのメディア芸術」の試行錯誤と切磋琢磨の多様な姿が浮かび上がることになった。どの価値軸を推すのかということよりも、追求する価値軸はさまざまであっても、そのなかで十分な達成または説得力ある問題提起に至っているか、あるいはその前段階の問いのレベルに留まっているか、という点が、論議を通して熱を帯びたところだった。昨年はいくつかの作品に対して十分な評価がし切れていない気が個人的にはしていた。しかし、その達成や問題提起が本当に未来を指し示すものであるならば、今後必ず何らかのかたちで顕在化するはずである。審査はその姿をできるだけ見逃さないよう務め、開花へ向けた後押しをするべきものだが、萌芽の段階での見極めがは難しいことは言うまでもない。何しろ、現時点ではまだ見えていない、新たな価値軸を打ち立てるためのチャレンジに立ち会っているのだから。テクノロジーの生かし方をめぐる論議は当然として、それに接した時の人間の情動や行動の質をめぐる論議にもなった。応募作品の多彩さとそれぞれの力量がそれを可能にしたことは言うまでもない。来期にも大いに期待したい。
  • 中川 大地
    評論家/編集者
    生活に融けゆく エンターテインメン トの未来
    ひとつの節目を迎えた昨年度の受賞結果を受け、新たなピリオドが幕を開ける今年度からは、どのような時代の模索が始まるのか。初めての審査参加ではあったが、個人的にはそうしたリスタート直後ゆえの静かな助走期というモードを強く意識しながら、多種多様なメディア形態の応募作品たちと向き合っていくことになった。節目というのは、単に文化庁メディア芸術祭という一制度の開催回数が20を過ぎたという意味では、もちろんない。 大賞に『シン・ゴジラ』、優秀賞に『Pokémon GO』、さらにアニメーション部門では『君の名は。』など、戦後文化史スパンでの画期をなすコンテンツ群が次々に社会現象を起こした2016年の衝撃が、あまりにも大きすぎたことである。したがって前年に比べ、わかりやすい話題性に頼らずに作品の背後に潜在する価値を注意深く見据え、なるべく多元的な評価軸から拾い上げていく審査が求められたという印象だ。その結果、今回の授賞作は次のような両極の傾向を示していたように思う。一方は、従来の表現の枠組みに大きな変革はないが、技法や題材の洗練を極めることで、独自の"型"の円熟に到達したタイプのコンテンツ。大賞『人喰いの大鷲トリコ』を筆頭に、優秀賞『INDUSTRIAL JP』『FORESTA LUMINA』、新人賞『盲目の魚-The Blind Fish-』が、こちらに該当する。他方は、単体コンテンツとしての洗練や強度には欠けるが、先端から少しこなれたテクノロジーの新たな転用による既存の表現フレームの変容可能性を、(アートのようにイマジナリーな可能世界としてではなく)凡庸的なツールやプラットフォームの形で示唆するもの。優秀賞「Pechat」「PantsChainer」、新人賞の「Dust」「MetaLimbs」がこちらのタイプだ。基本的に、21世紀に入ってからのエンターテインメント史の大きな方向性は明白である。それはデジタル技術やコミュニケーション環境のインフラ化による社会のありようやライフスタイルの多様化に対応して、20世紀に媒体フレームの確定した一斉享受型・大量流通型の芸術形態が、徐々に解体・再編されていく流れだ。具体的には、UGCによる作者の特権性の解体や、二次元(映像呈示型)から三次元(実世界指向型)への移行、一回性の体験型消費の隆盛など、ジャンルを問わず共通の傾向が顕在化している。この過程を通じて、現代のエンターテインメントは非日常ではなく、生活的日常に融け込みつつある。とりわけ『Pechat』は、そんな描像を見事に実装してみせた。ただし、実際の作品史が織りなされていく軌跡は、技術そのものの進歩ほど単線的には描かれえない。新たな情報技術のメディア化が、デジタルゲームのように表現ジャンルそのものを創出することもあれば、それを旧メディアの側が技法や文法の成熟を活かして題材やメッセージの次元で戦略的に応答することで、かえって新しい価値が見出されることもある。委員それぞれが重視する基準が最終的にバランスした本年度の授賞作群からは、2016年的な特異点ではなかったゆえに、そうした史的変化の跛行性とダイナミズムが明快に読み取れるのではないだろうか。なお、個人的な大賞候補は、審査委員会推薦作品『Fate/Grand Order』だった。マンガ・アニメ・ゲームの枠組みでは明らかに2017年の覇権IPだった本作は、日本が特異的に発展させたスマートフォン向けモバイルゲームのメディア特性を活かし、虚実を超えてユーザーの生活時間と同期する新たなライブ文芸の器に昇華させた。ユーザー外の広範な層に伝わるものではないため授賞は断念したが、空間の意味を変えた『Pokémon GO』の対になるムーブメントとして、『FGO』では人理修復という時間をめぐる数奇な挑戦が行なわれていたことは、エンタメ史の片隅に記しておきたい。