18回 アート部門 講評

1877分の0の結果

審査委員の一人として役を務めるときには、優れた作品との出会いに胸躍らせるという何物にも代え難い喜びもある一方で、受賞作品を選ぶという困難な選択を迫られる。しかしながら今回のアート部門においては、慎重な議論の結果、大賞は該当者なしという苦渋の決断を行った。
1,800点を超える作品応募があったにもかかわらず、大賞に値する作品がなかったのかと訝(いぶか)る声もあるかもしれない。しかしながら、前述したような優れた作品との出会いがもたらす喜びは審査過程においてあまり感じられず、前年と比べると低調な印象を絶えず持ち続けた。これについては他の審査委員も同様だと想像している。その結果が、審査委員全員が一致して大賞として声を合わせることができずに、優秀賞5点となった結果にも現れている。
前回に続く審査を経て思うに、10分を超える作品はダイジェスト版の提出が今年度から求められ、それが全体的な応募数の減少につながり、作品がやや生彩を欠くことになった一因ではないかと想像する。とはいえ心に残る作品が全くなかったわけではない。
Cod.Actの『Nyloïd』や静止画と動画/映画の関係性を問うた五島一浩の『これは映画ではないらしい』、テヘランとロサンゼルスのイラン人街の様子をC.ディケンズの『二都物語』をモチーフに2面スクリーンで見せる映像インスタレーションである。Anahita RAZMI の『A Tale of Tehrangeles』、絵画的な美しい画面展開を見せるJan CHLUPの『FlatLogic -The Book』、氾濫するSNS利用とメディアが結び付いた時の恐怖すら感じさせるMarc LEEの『Pic-me-fly to the locations where users send posts』などを含むいくつかの作品は完成度の高さや視線のユニークさを見せ、まさに今日の社会をメディアアートというテクノロジーを用いて浮かび上がらせている。来年は大賞の選考が良い意味で難しくなる程の作品が応募されることを願っている。
また映像作品や映像インスタレーションに応募される作品についても意見が分かれるところがあった。それは「メディアアート」という比較的歴史の浅いカテゴリー故か、あるいは現代美術を取り巻く現在の状況下において、幅広いタイプの映像作品、映像インスタレーションが美術館やさまざまな展示機会に既に発表されているためか、1時間をも超える長編作品やドキュメンタリー作品、映画と考えられるようなものが多く応募されている。これらを「メディア芸術祭」でいかに考えるべきか。これについては前年からも議論されているが、現状を鑑みれば寛容性が求められるのではないだろうか。

プロフィール
植松 由佳
国立国際美術館主任研究員
香川県生まれ。1993年より丸亀市猪熊弦一郎現代美術館勤務を経て現職。現代美術を中心に国内外で展覧会を企画。主な展覧会に映像作品によるグループ展「夢か、現か、幻か」やヴォルフガング・ティルエイヤ=リーサ・アハティラ、マルレーネ・デュマス、マリーナ・アブラモヴィッチ、草間彌生、ヤン・ファーブルの個展など多数企画。第54回ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(作家:束芋)、第13回バングラデシュ・ビエンナーレ日本参加コミッショナーを務めた。