24回 アート部門 講評

生の体験とメディアアート

毎年の応募作品が、多彩で国際色豊かなのは、素晴らしいことだ。すべての作品には、作者の大量の熱量と時間が注ぎ込まれており、審査は毎年非常に消耗するというのも事実である。今年の作品についていえば、その場で体験してみないとわからない作品、のことが非常に議論になった。今回、大賞を受賞した『縛られたプロメテウス』や、優秀賞を取った『Sea, See, She - まだ見ぬ君へ』など、その場で体験することを前提とした作品だ。それを生の体験といおう。生の体験はビデオによる作品鑑賞では味わえない実在性を孕んでいる。コロナ禍にあり、今ほどこの「生の体験」への渇望が問題となっている時はないだろう。逆に今後新型コロナウイルスとともに、生の体験を必要としない作品もまた増えてくるだろう。それに答えてくれる科学技術を我々は進歩させるだろう。その技術の進歩により、CGと写真は区別が付かなくなり、立体音響が進み、鑑賞者とインタラクティブになり、複雑な仮想空間が生まれている。アートの表現・表象もまた進化している。しかし問題は技術進歩がアートの質を高めるわけではないことだ。メイヤスーというフランスの哲学者が10年ほど前から「減算と縮約」ということを言いはじめた。縮約された表象とは、余分なものを削ぎ落とした表象である。ミニマルな圧縮された表象といってもいい。科学はこれまで縮約された表現を目指してきた。一方、減算は対象の複雑さをそのまま受け入れた表象をつくる。そんな減算的な表象には了解不能な穴が開いている。それに実在性がある。技術革新は「生の体験」も手中に収めることができるのだろうか。これからの時代、技術の進歩とともに、縮退した表象を持った小作品ではなく、どこか超越した大きな作品が出てくることを期待したい。「生の体験」という強度は、人の認知を凌駕する、大きな作品であることを希求する。そういう作品を今度は審査委員という立場を離れて鑑賞したい。3年間お世話になりました。

プロフィール
池上 高志
複雑系科学研究者/東京大学大学院総合文化研究科教授
1961年、長野県生まれ。複雑系/人工生命の研究者。理学博士(物理学)。東京大学大学院総合文化研究科広域システム科学系教授。