22回 エンターテインメント部門 講評

昭和を終わらせられなかった平成の終わりを象徴する大賞

『チコちゃんに叱られる!』の大賞授賞を避けられなかったことは、かえすがえすも残念でならない。もちろん、例年の大賞ラインナップの水準に鑑みた場合、時代を象徴する話題性やポピュラリティの面で、本作が優秀賞の『TikTok』とならんで双璧をなしていたことは間違いない。片や、着ぐるみの挙動をトラッキングしてキャラクターの表情をCGでマッチムーブするという先端的な映像技術を駆使しながら、手練れのテレビマンたちがお茶の間向けにつくり込んだ「最も成功したVTuber」コンテンツとして。片や、スマホの利用環境に最適化したショート動画コミュニティの巧みな設計によって素人の発信ハードルをさらに下げ、大人たちが思いもよらないティーンズ文化の流行圏域を出現させた特異なコミュニケーション・プラットフォームとして。見事すぎるほどに対照的な性格を背負った両作のどちらを大賞に推すかで、最終審査会は大いに紛糾した。筆者の信念としては、文化庁メディア芸術祭が未来に向けたあゆみに価値を置くならば、大賞は当然後者であるべきだった。だが、中国産のアプリを日本向けにローカライズしたにすぎない後者に対して、前者の方が応募主体の創意がわかりやすい「作品」だし、授賞によるクリエイター支援の意義が明確だという審査意見の大勢を覆すことはできなかった。そのこと自体はメディア芸術祭の制度特性上、もっともな結論であると呑み込むほかなかった。『TikTok』ムーブメントを積極的に推せるだけの説得ロジックまでは、さすがに自らは当事者ではなかった身の見識不足で見つけ出せなかったためである(こちとらも所詮、四十路も半ばのオッサンなので......)。しかしながら、それでも昭和末期のフジテレビ的な民放バラエティセンスを今更NHKに持ち込み、ベテラン芸人の加齢臭しかしないゲストいじりトークを、幼児キャラクターのガワの力で「ちょっと耳年増な5歳の子の稚気」として誤魔化すこの番組の基本設定は、どうにも醜悪に過ぎよう。そのフォーマットに載せて繰り出される「大人なら知っていて当然の素朴な疑問」への回答トリビアの数々を「諸説あります」などと逃げを打ちながら断定調で叩きつけるあたりの身振りも小狡い。それぞれ一歩間違えれば、バラエティ発のいじめ助長の空気形成だったり、偏った学説演出による情報番組系のデマ拡散だったり、平成年間に何度となく問題になったテレビエンターテインメントの悪癖と同根の構造を抱えた代物だ。もっとも裏を返せば、そうした民放バラエティ型の失敗に学び、NHKの制作環境とテクノロジカルなキャラクター演出の媒介で(今のところは)ギリギリ回避しているのが『チコちゃんに叱られる!』の巧さとも言える。だから上で述べたdisは、すべてそのまま贈賞理由に転ずる。そう得心してしまっているがゆえに、あれ以上は審査会で頑張れなかった自分が、とても悔しい。ただ思うのは、そのような昭和期の旧体制の延命のみにしか新しい技術を有効に使えないネオテニージャパンの限界を、『チコちゃんに叱られる!』はこの上なく象徴していたということ。冷戦後の政治経済の明白な失敗に頬被りしながら、自分だけは無垢な幼児に退行したフリをして安易に捏造した「正解」に自閉しつつ、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」などとすべての日本国民を罵れるメディア人の、なんと多いことか。そんな平成日本の転落の最大限アイロニカルな自画像という意味の大賞であることは、くれぐれも強調しておきたい。ひとつ希望を見出すなら、奇しくも日本での平成初年にあたる世界にゲームの力で介入して想像的にリニューアルするインディーVR作品『PixelRipped1989』を新人賞にできたのは大収穫だった。願わくば、次の時代からこそは、避けられない衰退の現実を直視して有効なテクノロジー運用で処する、本当の文化成熟と更新の始まらんことを。

プロフィール
中川 大地
評論家/編集者
1974年、東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程単位取退学。ゲーム、アニメーション、ドラマなどをホームに、日本思想や都市論、人類学、情報技術などを渉猟して現実と虚構を架橋する各種評論などを筆。カルチャー批評誌『PLANETS』副編集長。著書に『東京スカイツリー論』(光文社、2012)、『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』(早川書房、2016)。共著・編著に『思想地図vol.4 』(NHK出版、2009)、『あまちゃんメモリーズ』(PLANETS・文藝春秋、2013) など。村上隆監督のアニメーション作品『6HP』に脚本・シリーズ構成で参加。