20回 マンガ部門 講評

審査の振り返りと4コママンガの衰退

今年度、審査委員として任期3年めを迎え、今回が最後の審査となった。これまでの審査の経験から、その年によって集まってくる作品には傾向があることがわかった。同じ出版社やマンガ雑誌から大量の作品が応募されてくることも理由のひとつかもしれない。初めの2年は成年向けマンガの応募の多さに驚いた。その多くは特出した点のない一般的な成年向けマンガなので審査の過程で残らなかったが、一作品だけ非常にエンターテインメント性の高い作品があった。「成年向けマンガ大賞」があったならぜひ大賞にしたい作品だったが、そういったジャンルに特化したコンテストであれば、エンターテインメント性より、いかにエロティックであるかが賞の基準となるのかもしれない。これまでの審査を振り返ると、どのような評価基準で作品を選ぶのか、いつも考えながら審査をしていた。審査委員によって好みや評価するポイントは異なるものだが、そうであっても票を集める作品が受賞に値するのであろう。今年度についていえば、アニメーション化されたマンガの応募も多くみられたが若干時期を外した感が否めなかった。受賞は実力とタイミングと運だとつくづく思う。また、審査委員に就任した1年めは、現在のマンガの技術的レベルの高さに、2年めは描かれているテーマの豊富さに驚かされた。腐女子、ボーイズラブ、同性愛、原発、震災。時代を反映する象徴として選ばれた作品もあった。メディア芸術祭に応募されてきたマンガだけがマンガのすべてではないと思うと同時に、どれほどのマンガが今、この世の中を埋め尽くしているのだろう。ところで、昭和40年代に日本のマンガはすでに現在のマンガの完成形をなした。4コママンガから、コマの形を自在にしつつ右からS形にコマを読み進めるという法則が定着した。子どもマンガから劇画マンガまで表現は研究され尽くし、少年少女マンガの全盛期を迎え、あらゆるジャンルのマンガ表現ができるようになった百花繚乱と言われた頃よりも、よりジャンルは細分化され、より緻密にあらゆる状況の心理描写までも描き尽くされている今を「千化繚乱」と言えばいいのだろうか?マンガ部門では、「単行本で発行されたマンガ、雑誌等に掲載されたマンガ」「同人誌等の自主制作のマンガ」「コンピュータや携帯情報端末等で閲覧可能なマンガ」が審査区分として設けられている。作品を選び出していく時、できるだけすべての区分の中からそれぞれひとつは選ぶように心がけてきた。それは将来につなげるためである。特にウェブマンガはこれから先、一番変化のありそうな分野である。自主制作マンガも、プロアマを問わないので今までにない新人の発見を期待でき、プロであっても商業ではできないような作品が生まれる可能性が高い。これらの分野の応募数が増え質の高い作品が集まれば、メディア芸術祭とほかのマンガ賞などとの差異化ができるのではないだろうか。また、ふと気づくとなくなりつつある大事なジャンルがあることに気づいた。それは4コママンガである。4コママンガブームが終わりを告げて久しいが、もともとマンガのルーツをたどれば4コママンガに行き着く。そして4コママンガの型を破り、縦横無尽に動くコマに新たな法則をつくり現在のストーリーマンガに発展した。現在ある4コママンガは型を借りているだけで切れのいい起承転結があるわけでもなく、ただ日々の日常を描いたエッセイやストーリーばかりだ。メディア芸術祭への4コママンガの応募数は年々減少傾向にある。昔ならマンガ家としてオチの利いた4コママンガを描き才能を発揮したであろう人たちは、現在はその多くが芸人になってしまっているのではないだろうか。才能は生きるところで生かされればいいとは思うものの、少しマンガ界は寂しい気がするのである。

プロフィール
犬木 加奈子
マンガ家/大阪芸術大学客員教授
1958年、北海道生まれ。87年に講談社『少女フレンド』増刊号にてデビュー。89年、講談社『サスペンス&ホラー』創刊時より雑誌表紙、巻頭を描き続け、代表作『不思議のたたりちゃん』(講談社、1992─)などを発表。92年には秋田書店、ぶんか社、リイド社、角川書店をはじめホラーマンガ誌が創刊され、それらすべての雑誌表紙、巻頭を担当。また作品がOVA化される。これまでに犬木加奈子漫画賞をはじめ、ホラー誌の選考委員や、漫画の日選考委員、日本漫画家協会賞選考委員を務める。2001年には、第1回日中民間文化交流に参加し北京の中国美術館で作品を展示。08年より大阪芸術大学客員教授。11年にはフランス、13年には銀座のギャラリーなどで展示を行なう。14年4月より東京藝術大学で講師を務める。16年、日本大学芸術学部芸術資料館にて「ホラー漫画家 犬木加奈子の世界」展を開催。