22回 アート部門 講評

「何ものか」との協働がかたちづくる世界

今回も多数の応募があった。そのうえ、応募作品の形態が多岐にわたり、募集にあたって特定のテーマが設けられているわけでもないため、過去の総評にも述べられているとおり、審査はやはり難しいものとなった。しかしそれでも、いくつかの作品との印象的な出合いはあった。それらは、大量のデータの流れのなかで人と人でないものが協働して新しい視点を創出し、意識や身体や世界のありようをつくりかえている状況(こうした陳腐な物言いしかできない筆者の力不足はお詫びする)のなか、「生命とは何か」「自然とは何か」「宇宙とは何か」といった誰にとっても重要な問いについての自身の考えを、自身ではない「何ものか」との協働のなかでかたちにしてみせていたのだ。それらは、状況についての単なる問いかけ、揶揄、冷笑などではない。またその状況の深層を露わにすると称する現代思想の図解などではもちろんない。芸術史に閉じてもいない。なにより、科学や科学技術について批評的立場を採ることのできる特権的領域がアートであるという、アートの自己規定に囚われていない。それらの作品には、まだ知られていない生命の姿(その先取には科学との協働がどうしても必要)を、想像もつかないようなかたちで半ば暴力的に示すこと(その実現にはテクノロジーを含めた各種生態系への洞察が不可欠)、そうした開示の可能性が示唆されていた。そのとき作品は、はじめ自分が何を見聞き触れているのかさえわからない、にもかかわらず作品と鑑賞者を包む場の全体が自身の身体に刻み込まれ二度と忘れることができない、そんなものごととなっているだろう。そうした可能性を示唆していただいたことに、この場をお借りして深く感謝申し上げたい。

プロフィール
秋庭 史典
美学者/名古屋大学准教授
名古屋大学大学院情報学研究科准教授。専門は美学・芸術学。20年近く数学者、生物学者、計算機科学者、複雑系科学者、認知科学者、心理学者、科学哲学者、ロボット倫理学者、情報哲学者などに囲まれながら仕事をする。「情報」「生命」という観点は広範かつ多様な分野の学者と共有することができるため、そうした観点から美や芸術について考えることを心がける。『あたらしい美学をつくる』(みすず書房、2011)の出版を通じ、制作者と話をする機会が増える。