21回 マンガ部門 講評

百花繚乱にもほどがある

地球上に誕生した小さな単純生命体が、何かのきっかけを元に、すさまじい進化・進歩・変貌をくり返し、ふと見ると地球上には似ても似つかぬオビタダシイ生物があふれ返って「これらのどこが『祖先が同じ』生命体なんだ?」と驚く─。この「進化論」の学者たちが抱いたかも知れない狼狽と、きわめて近い経験を、我々マンガ部門審査委員たちは味わわされているのかも知れない......、今回の(千を越える)応募作を前にしての感慨であった。毎年、新趣向、新ジャンルのマンガ群と格闘してきたが、今年は特に「これらを全部『マンガ』という言葉で括ってしまっていいのか?」という気分に襲われた。前々回あたりから「もう紙マンガの判断基準は崩壊したな。アニメーションとの境界線も薄れてきたな」とは思っていたのだが、かといって昔ながらの単純線で描かれた作品も決して滅びないし、そういった作品群もかえって増えてきた印象を受ける。誰でもパソコンで描いてネットで発表できる環境になった今、プロとアマ、玄人と素人の境界線すら「意味がない」時代に入っているのだ。マンガが今後どういった方向に向かうのか、「ひとり1ジャンル」化が進むのか、少なくとも私にはまったく予測がつかなくなった。それでも、審査委員らの注目を受ける作品は(それら混沌のなかから)堂々と浮かび上がってくるもので、今回も第21回文化庁メディア芸術祭にふさわしい、優れたマンガ作品が生き残り選ばれたと確信でき、大いに喜ばしい。『ねぇ、ママ』で大賞に輝いた 池辺葵はもう1作『雑草たちよ大志を抱け』が審査委員会推薦作品に選ばれており、抜きん出た作者の力量を示している。バタ臭さのない、ある意味「日本的」な画風から醸し出される静かなまでの感動は他者の追随を許さない。優秀賞『銃座のウルナ』の伊図透も、これまで何度も候補に上がっていた実力派だ。SFなのに異様な実在感を持ち「今後の展開がまったく読めない」長編の本作は、主人公ウルナにどんな運命が待ち受けているのか、作者はどんな着地点を用意しているのか、審査委員の期待が大いに盛り上がっての受賞となった。同じく優秀賞『ニュクスの角灯』の高浜寛『夜の眼は千でございます』の上野顕太郎の両者も、さまざまなマンガ賞の候補に何度も上がっていた。高浜寛には過去『蝶のみちゆき』『SADGiRL』などの秀作群もあり、それらに注目してきた私にとって、今回の受賞は「遅すぎる」感がしないでもないくらいである。上野顕太郎の「全身全霊をかけて実験的『くだらないギャグ』を世に問い続ける」という、執念にも似た奇特な姿勢は、ギャグを愛する私にとって「尊敬」以外のナニモノでもないのだが、その「くだらなさ」ゆえに周りから認めてもらえないという悲しきジレンマがあった(氏の作品でこれまで一番高い評価を受けたのが、ギャグを廃した『さよならもいわずに』であった)。それがついに今回優秀賞を獲得した事に胸を張りたい。そう、ギャグこそがマンガの原点であり、「笑い」こそが人類の特権であり、チェスや将棋や碁でプロを打ち負かすAIも「ギャグ創作」にかけてはヒヨっ子なのだ。人間がAIに勝る唯一の希望が「笑い」であることを忘れてはならない。そのAI世界の未来がどうなるのかを描いたテーマで、私が最もリアルに感じた作品が山田胡瓜の『AIの遺電子』であった。短編で毎回、これほどの説得力を持つ「近未来SF」連作は全審査委員を唸らせた。短編作家としてO・ヘンリーを凌駕すると私は思う。 新人賞『甘木唯子のツノと愛』の久野遥子は稀有な作家というべきか、心に浸みる感性には泣かされる。増村十七『バクちゃん』も、斬新な画風と主人公バクちゃんへの愛おしさが票を集めた。作者が世界へ雄飛することを期待する。『BEASTARS』の板垣巴留は、今回最も特筆されるべき新人である。コミック界の片隅で「ファーリー」と呼ばれ、ともすれば低く見られてきた擬人化動物ジャンルが、この作品によって革命を起こす可能性すら感じられるからである。まだまだ言い足りないが紙数を越えた。今回も豊麗(過ぎるほどの)収穫であった、と思う。

プロフィール
みなもと 太郎
漫画家/マンガ研究家
1947年、京都府生まれ。67年、デビュー。ギャグとシリアスが混在した作風で人気を博す。2004年、歴史マンガの新境地開拓とマンガ文化への貢献により、第8回手塚治虫文化賞特別賞受賞。平成22年度[第14回]メディア芸術祭優秀賞受賞。代表作に『風雲児たち』シリーズ、『ホモホモ7』『挑戦者たち』のほか、『ドン・キホーテ』『レ・ミゼラブル』などの世界名作シリーズがある。