第20回 アート部門 講評
審査を通じたメディア芸術批判と提言・中間報告
まず落選、もしくは望みどおりの賞に達しなかった作者に対しては、こうした結果を契機に過度に自信をなくしたり、応募作を破棄したりすることのないよう申し上げる。セザンヌは毎回落選しては審査長に抗議していたという。さて重要な変化が今回あった。それは「デジタル技術を用いて作られた」との規定が募集要項から消滅したことである。前回(第19回)の要項では、アート部門は「デジタル技術を用いて作られたアート作品」と太字ではっきり示され、次に角括弧にくくられる形で[インタラクティブアート、メディアインスタレーション、映像作品、映像インスタレーション、グラフィックアート(デジタル写真を含む)、ネットアート、メディアパフォーマンス等]と付記されていた。今回(第20回)の要項ではその太字箇所と括弧記号が削除され、括弧の中身が表に出た。エンターテインメント部門も同様だ。これは、デジタルとの規定が今日、実質的な意味を持たないばかりか、デジタルを使わない美術一般を結果的に排除していると前回私が批判したことの反映かもしれない。一方、メディアアートの原理や理念という内発性を要項に盛るべきとした提案は、見送られた。見送られた提案はしかし、Ralf BAECKERの『Interface I』を大賞とすることによって、審査委員からのメッセージとすることができたと考える。装置それ自体が手段でなく目的に特化されることによって、メディアアートという主題そのものが簡潔直接的に提示されているからだ。その意味では優秀賞の四作は、目的的な表現というある種自明的な価値体系内での質の高さが評価されたものである。ちなみに『The Living Language Project』はいわゆるバイオアートだが、これに対しデジタル云々を問わずに済むことは有難い。次は、メディアアートの上がりである単なるアートがそれ自体、目的化されたものをこそ見たいと思う。