第15回 アート部門 講評
喪失から生まれた社会へのテーゼ
日常に遍在する、誰にでも使える手軽なものへと技術はどんどんと転化している。アーティストたちは、こんなことができるぞ、という技術的な先進性にだけ優先順位を置くのではなく、何を伝え、表現するのか、内容という作品の強度をより高めることにどんどんと向かっている。技術は思考と表現を支える手段の1つ、そんな次なるステージを迎えたメディア芸術の現状が確かに伝わってきた。
特に映像作品においては、テクニカルな部分の主張よりも充実したコンテンツの多様さが際立っていた。映画的、演劇的な作りなど、自ずと複数の表現領域を横断する総合的な表現は、様々に展開していく可能性を帯びる。それはメディア芸術が、新旧あらゆる手法をのみ込む広がりを孕んできたことの現れに他ならない。そして今回、東日本大震災を経たことは、表現が社会的な関係性の中で持つ意味を考えようとする作品に繋がっていたように思う。
3.11の未曾有の震災は、映像やデータ解析という技術の目によってくまなくその様相が明らかにされた、かつてない災害であったといえる。日々の営みを断絶する自然の力を目の当たりにし、表現者たちは、人々と繋がることのできるメディアの開かれた特性を生かして、これを創造的に用いる実践を試みていた。膨大な数の応募作品が押し寄せ、漂った熱気。それは喪失を目の当たりにしたこの時にこそ、身の回りに目を向け、創造すること、生み出すことに向かう実践が集ったからではないだろうか。
プロフィール
神谷 幸江
神奈川県生まれ。ニューミュージアム(ニューヨーク)アソシエイト・キュレーターを経て現職。国内外で展覧会を企画。主なものに「ス・ドホ」「サイモン・スターリング」「小沢剛」「蔡國強」らの個展企画(いずれも広島市現代美術館)、「アートの変温層─アジアの新潮流」(ZKM、カールスルーエ、2007)、「Re:Quest─1970年代以降の日本現代美術」(ソウル大学美術館、2013)などの共同キュレーションがある。新聞、雑誌への寄稿のほか、共著に『Creamier: Contemporary Art in Culture』(Phaidon、2010)。早稲田大学非常勤講師。