15回 アート部門 講評

技術に頼らず、表現の意味を問う深みを

率直に申し上げて、今回の応募作品は総じて質が高かった。
メディアアート全般が抱える問題として、単純なインタラクティブ性とそれを支える技術やツールの一般化による、表現のパターン化が挙げられる。このような背景を超えてある質を獲得するためには、作品自体に表現の意味を問うような深みがなければ、デジャビューのような作品ばかりになってしまう。そのような意味では、むやみに薄っぺらなコミュニケーションとか、相互性を主張する作品は減る傾向にはある。他方、その深みをコンテンツの一部として映像に凝縮させ、部品として使用する作品が増えてきている。メディアアートの技術的特徴は、本来ランダムアクセスによる、自由度の高い表現性である。しかしながら、それはすべての選択肢に深みを与えることへの難しさともなっている。アーティストたちも、そのことに我慢ができなくなってきているであろうか? 映像を中心とするシーケンシャルコンテンツは、その堅牢な性質から表現の意図を抱え込みやすいのかもしれない。かといって、映像作品がイコールでメディアアートではないことは明白ではあるが、その一線は曖昧でもある。

今回、大賞を獲得した『Que voz feio(醜い声)』はシナリオを示す構造としてデュアル映像を使い、新しい表現メディアの一手法とした点でメディアアートであった。そして、そのシナリオ性には幾重にも重なる二重性が表現されていた。『particles』は、さりげない普通の現象のように球が発光し循環しているが、冷静に見れば非常に計算された動きや連動性が丁寧に作り上げられている。その計算された部分に更なる迫力が加わっていれば、大賞となったであろう。『HIMATSUBUSHI』は、今回の審査委員にとってマスコットシンボルのような作品であった。日本人にとってつくづく日常というやつは、愛らしい、と感傷的に捉えてしまう何かがこの作品にはある。アートの重さは感じないが、何か演芸的映像表現とでも呼べるのかもしれない。こんな呼び方したら、本人は怒るだろうな。

プロフィール
関口 敦仁
情報科学芸術大学院大学(IAMAS)学長
1958年、東京生まれ。東京藝術大学美術学部卒業、同大学院修了。80年より美術作家として絵画やメディアインスタレーションを主に発表。96年より岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー教授、2001年より情報科学芸術大学院大学教授を務め、現在、同大学(IAMAS)学長。メディア芸術や情報デザインでの活動のほか、美術情報学、芸術史、伝統芸術、考古学のアーカイブ表示研究などを行っている。主な作品に『地球の作り方』『景観シリーズ』、著書に『デジタル洛中洛外図屏風[島根県美本]』(共著、淡交社)などがある。