第21回 アート部門 講評
不易流行のこころ ― 変 わ り ゆ く も の 、 変わらないもの
審査にあたり初めに感じたのは、やはり、本芸術祭が20周年を迎えた前回と同様の思いだった―「いま『メディアアート/メディア芸術』は、ある文化領域が新たに成立する過程でたどる、既存の価値観からの『異化』や『飛躍』の時期を経て、長い『転化』のプロセスにある」。 私たちは、この領域が「従来の芸術とはこんなに違う、革新的で新しい芸術なのだ」という敢えてのアピールを長らく繰り返してきた。そして劇的な人気を得たあとも、すそ野の拡がりや義務教育化を横目に見つつ、メディアアート/メディア芸術が「真に"フツー"のものになる」日を待っている。が、そうこうするうちに貴方や私の人生は終わりかねない―などと考えつつ今回の作品群を俯瞰したところ、そんなに悲観することはないという気もしてきた。人々があるジャンルに抱く曖昧なイメージや先入観という点から言えば、この領域のここ10年ほどの大衆的イメージは「近未来的でシャープなもの」ではないだろうか。たとえば大賞『Interstices/Opus I - Opus II』の謎めいた静謐な風景は、この領域の「クールで格好いい」というひとつの側面を体現する要素かもしれない。優秀賞『水準原点』の峻厳さや、ひたすら手を動かして成立させていくアニメーション技法にも、その一端は窺える。一方で他の受賞作群は、無垢な発見による世界の描写を試み、どこかとぼけた印象さえたたえている。2017年の各現代芸術祭(ヴェネチア、カッセル、ミュンスター)では「無理にAR/VRを使ってみた現代美術作品」 が散見され、社会の不条理を訴えかける、文脈がにわかには伝わらない、難解な従来型作品群との対比が印象的だった。作品のつくり手とともに受け手も変容を続け、かつての私たちはもういない。しかし、シリアスでもプレイフルに、大変なことを軽やかに、"struggle"するだけではなく見せるのがこの領域の身上だという点は今でも変わらない ―と私は信じている。