第22回 アニメーション部門 講評
多彩な表現と接近の相違
近年におけるアニメーション表現の多彩さ、これはコンピューターの役割やネットの進化によるところが大きい。制作方法は変化し続け、少ない経験でレベルやクオリティのアップを実現し、情報アクセスも容易になり、質・量ともに膨大な作品に触れることで、映像表現が何たるかを理解できる。このことから感覚や熱意を持ち合わせれば、短期間にスキルを上昇させることが可能となり、良質な作品を生み出すことになった。昨今のように多くの高品質なアニメーション作品がつくられているのも当然である。また作品を発表する行為には、自分の考えを理解して欲しい、作品を見てもらいたいという思いが伴う。つくり手の考え方は「多くの人に伝えたい」、「感度の良い人に伝われば良い」とさまざまで、そのことが作品の質を決定する。そして作品の向かう方向性は、ポジティブな部分とネガティブな部分をつくり、「個性的」、「没個性」、「難解」、「わかりやすい」などの評価を生み出す。そんな多彩で受け手への接近の違いが、アニメーション表現の審査の難しさであり、審査委員の個性が影響する部分である。大賞は『LaChute』。独特の感性はすべての人に享受できるものではないが、異端的で「しつこい」とも思えるループ表現は、見る者を圧倒的な敗北感にし、強い印象を残すことに成功しており受賞に値すると感じた。『透明人間』は非常に野心的でインパクトある作品で、絵と絵が繋がり動き出すアニメーション独特の魅力を感じる作品であった。総評として、全体的に粒揃いな作品が多かったが、際立った作品は少なかったように思う。また長編アニメーションは似通った題材が見られ、物語としては少し新鮮さが足りなかった。私見になるが、メディア芸術祭での審査は、ほかのアニメーションコンペとの違いを生み出す必要性を感じるが、本年大賞となった作品は空間として感じるようなタイプで、物語鑑賞タイプでない作品が受賞したのは意義深いことである。