25回 アート部門 講評

自らの価値観と 向き合う作品審査

審査委員最後の年となりました。作品を審査することには最後まで慣れないまま、3回の審査を経験して実感したのは、賛否が分かれ、議論となる作品と出合う機会があればあるほど、審査委員が持っている既存の価値観や常識が揺さぶられ、新しい視点や発見が生まれるということでした。同時に、審査委員は、作品の前で丸裸にされて、最終的には、各作品のメッセージをどれだけ理解して、代弁することができるかという責任を持つことになります。その意味で、今回の審査では示唆に富む発見が多かったと同時に、自らの価値観を問う機会も多くありました。その理由は、ポスト・パンデミックの時代という状況とも少なからず関係しているのだと思います。ただ、それは直接コロナ禍の状況と直結しているメッセージ性を持つ作品が多かったという意味ではなく、創作や人とのコミュニケーション、移動の制限下のなかで生み出された新たなビジョンへの展開が作品を通じて見出されことが多かった点にあり、同時にそのような作品群と出合えたことに希望を感じました。また前回の審査講評は、2度目の緊急事態宣言を目前とした緊迫した事態でしたが、今回も緊急事態宣言下でないとはいえ、緊迫した状況に変わりはありません。このような状況にもかかわらず、第24回に比べて減少しているとはいえ、アート部門へ約1,800の応募数があったことは、素晴らしいことだと思います。
今回の大賞は、anno lab(代表:藤岡 定)をはじめとする『太陽と月の部屋』に決まりました。太陽の光の動く軌跡をテクノロジーによって制御しながら、来館者が光の動きをさまざまな機能から直接体験できるシステムを、コミュニティに根ざした調査や領域の異なる人々との協働によって実現した点で、審査委員から高い評価を得ました。『太陽と月の部屋』は、サイトスペシフィックの作品であり、アーティスト個人ではなく、協働で実現している点に特徴があります。
オンラインが中心となっていく生活のなかで、自然と人間との関係を、地域的なコミュニティとの協働も含めて、技術面の実装を駆使しながら実現した点にこの作品の強度があると思いました。いかなる作品も、とりわけメディア芸術作品に関して、作品は作家個人のみならず、技術協働者を含め、さまざまな協働で成立しているものですが、アート部門に顕著な作家性に特化した枠組みでは、見えにくくなってしまう部分があるなか、創作における協働の重要性を強調できる機会となったと実感しています。
一方で、優秀賞の山内祥太『あつまるな!やまひょうと森』は、リアルとオンラインの空間を作家自身の身体が行き来することで、コロナ禍でヒットしたオンラインゲームへ没入してしまう人間の欲望をパロディ化し、またTheresa SCHUBERT『mEat me』は、自身の血液から採取した血清を利用して培養した肉を食べるというコンセプトから、人間と動物のあいだの消費主義のヒエラルキー関係への批判を自らのパフォーマンスを通して行っています。両者はまったく異なる作品でありながら、特に『mEat me』はタイトルも含めて一見衝撃的なパフォーマンスですが、両作品とも個人の作家が自らの身体を通して、社会の仕組みや構造を批判的に捉えようとし、かつユーモアを含んだ表現へと昇華している点に共感が集まりました。
功労賞は、グリッチやノイズ・ミュージックの先駆者の刀根康尚氏が受賞しました。1960年に小杉武久、水野修孝、塩見允枝子らとともに即興演奏集団「グループ・音楽」を結成し、以降、音楽と美術の境界を超える活動を行ってきた刀根氏は、音声メディアを対象化する理論的な考察を構築しながら、音楽そのものを徹底的に批判することでメディア表現を実現してきました。この受賞は非常に意義深いことだと思います。
最後に一点、AI技術を含め最新の技術を利用したメディア表現が生み出されるなかで、複製メディアに伴う著作権や肖像権の問題もより複雑になっていますが、審査においては、その法律上の判断も含めて誰が責任を担っているのかがいまだ曖昧な線引きしかなされていないと考えています。審査委員はあくまでメディア表現のクオリティを審査する立場であり、この点の議論を活発に行っていくことが、今後のメディア表現の土壌を強化していくことになるのだと思います。

プロフィール
田坂 博子
東京都写真美術館学芸員
東京都生まれ。主な企画に「映像をめぐる冒険vol.5 記録は可能か。」(2012−13)、「高谷史郎 明るい部屋」(2013−14) 、「アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち」(2016−17)、「エクスパンデッド・シネマ再考」展(2017)、「[第2−11回]恵比寿映像祭」(2009−19)など。現在、2020年2月開催予定の第12回恵比寿映像祭を準備中。