第18回 エンターテインメント部門 講評
ゴシップ、スキャンダルとエンターテインメント
情報社会の成熟期にある現在、ゴシップやスキャンダルといった「負のエンターテインメント」が常態化している。特に日本ではそれが顕著になった1年だったと思う。ある出来事が瞬間的に多くの人々の耳目を集め、状況の変化がリアルタイムで共有される。このことには抗い難い魅力がある。僕はこうした環境下で作品を制作し発表することに、一作家として戸惑いがある。つまり、マスメディアとネットが連動して現実の複雑さが短絡されるという現象に対し、個人の想像力を出発点とするフィクションが拮抗(きっこう)できるのか、という疑問だ。文化庁メディア芸術祭の審査を通じて、本年もまた多くの作品に触れた。そこで感じたことは、優れたエンターテインメント作品は、この問題につまずくのではなく、少し先の現実を見据えていることだった。
『Ingress』『のらもじ発見プロジェクト』はどちらも多くのプレイヤーがネットと現実を行き来しながら、新しい価値を発見し創造していく。その価値は「生産と消費」の経済サイクルとは異なる軸に存在する。更にグローバリズムとローカリティが「対立」するためだけの概念ではないことを柔らかく示唆している。『handiii』『Kintsugi』は身体の一部を欠損し、不自由を強いられることになった状況をユーザーや作家自身の「楽しみ」へと変換する大胆な試みだ。両作は欠損という言葉を無効化するのと同時に、私たちの身体に対する思い込みにメスを入れていく。これは人工知能の誕生が近づく中で、重要な問いとして成長していくはずだ。また、本年は映像作品が充実していた。おそらく映像作家はアウトプットのフレームイメージを留保したのだ。それが再生されるのはスクリーンかもしれないし、スマートフォンかもしれない。結果的に作品は作家と観客の共犯関係によって立ち上がるという事実がむき出しになった。
翻って「メディア芸術」とは、テクノロジーとともに拡張し、定義されることを拒み続けるものなのかもしれない。そして、その流動性が「負のエンターテインメント」を凌駕(りょうが)するのではないかと予感している。