第21回 アート部門 講評
3年間審査に 関わってきた
3年間審査に関わってきた。多くの応募作品を鑑賞することで、毎年作品の傾向が変化することに興味を持った。 1年目の第19回の応募作品では、社会や環境に関する状況をテーマとして編集された作品が印象に残っている。当時はイスラム国に代表される、メディアを駆使しての主張を世界中の人々が驚きを持って体験していたときで、個人もしくは集団が「世界」に発信できる環境が現実となったことと同期しているのではと感じた。 この「世界」が翌年の応募作品では「自己」というものに向かっている作品がいくつか現れていることに少しばかり驚かされた。大きな世界から個人という小さな世界に視点が極端に移行している。その原因のひとつには、携帯端末などの性能の飛躍的な向上によって、メディア自体が個人の道具として、鉛筆で紙に描くように、ハードウェアを気にする必要のない環境になってきたからではないかと思われる。このことは、グーテンベルクが活版印刷を始めて以来、書物が大量に一般庶民の手にわたるようになり、書物の内容もそれまでの聖書や神話といった大きな「世界」から、悩みや恋愛といった個人的な小さな「世界」を表現したゲーテの作品がベストセラーとなっていった事実と似ている。 そして3年目の第21回の応募作品にはまた新しい傾向が見られた。それは「私たちの存在するこの世界とは何か?」 という問いを感覚や知覚を通して考えてみようというメッセージを持った作品がいくつか現れたことである。19世紀までの「非日常」をテーマとしてきたアートの表現が20世紀に入り、アーティストの視点が「日常」へと向けられるようになり、それまでの常識を揺さぶることとなったが、20世紀の後半からのアーティストの視点は「日常からの眼差し」から世界そのものを捉え直そうと変化している。この100年以上にわたるアートの変化が、わずか3年間で体験できたことは私にとって大変に勉強になった。