第17回 アニメーション部門 講評
予測不能な方向への新たな可能性
近年日本の若い作家たちの元気がよいのは見知ってはいたが、初めてメディア芸術祭の審査委員を務めてその実態を目の当たりにし、それら作品の質の高さもさることながら、その作品数が多いことに驚かされた。短編に限って言えば、新人賞をとった3作品はもちろんのこと、推薦作品にも、今回惜しくも選外となった作品の中にも若い作家たちの力強いエネルギーを感じ取ることができた。「若い=新しい」と単純に言ってしまっては正確ではない。『ようこそぼくです選』の作者などは、新しさに加えて異質性を感じる。アニメーションを作る人間の気質そのものが、明らかに従来とは変わってきていると言えるのかもしれない。映像も音楽も、その他表現に必要なものすべてを、一個人が発信する。制作方法のデジタル化が、作品全体を個人作業によって完結させることを可能にはしたけれど、ここまで自在に表現されてしまうとは驚きである。このようにマルチな能力による作品に出会ってみると、表現手段としてのアニメーションが持つ更なる可能性を見た思いがする。全般的に見て、日本の若い作家の作品は心の内面にうごめく曖昧な何かを見つめようとするものが多く見られた。舌足らずな感も無くはないが、かえってそれが個性的な作品となっている。対して海外から応募された作品には、明確な映像表現の意思と、その見せるワザを意識しているプロを自覚した作品傾向が見られる。ただし、日本の作品の中にも『ゴールデンタイム』や『WHILE THE CROW WEEPS ―カラスの涙―』などは安定感のある作り方で味わい深い作品となっていた。大賞の『はちみつ色のユン』は社会性のあるテーマを持った作品がほとんど見られない中で際立った存在であった。エンターテインメント性を優先する多くの日本のアニメーションを制しての大賞である。このような長編作品が生み出された意味と、作品の企画から制作、そして発表までを可能にするアニメーション文化のあり方について考えさせられた。