23回 アート部門 講評

新しいものの創造という古い信念から

科学との協働から構想されたいまだ見ぬ生命の姿を、技術を含む生態系への洞察に基づきかたちにし、それを見るものの心に̶それが何かはわからないまま̶決定的な一撃を加える......そのようなものとの出合いが、文化庁メディア芸術祭の審査に臨んで私が心待ちにしているものであることは、前回の審査講評に書いたとおりです。実際の 順序としては、「何だこれは?」という出合い(驚き、衝撃、恐怖、違和感、薄笑い等々)があり、そのあとに、その作品がどんな生命感から生まれてきたものなのか、またその作品がどういった生態系への洞察に導かれていたのか、ということが知られることになります。したがって重要なのは、まず「何だこれは?」 と思わせる何かが、作品から感じられることだ、ということになります。もちろんそれは、単にセンセーショナルなものを意味するわけではありません。じんわりと、「おや?」と思わせるものでも構わないわけです。こうした私の考えは、芸術とは何よりもまず新しいものの創造であり、しかもそれは、生・思考・感覚、そうしたものが切り離されず、その変様がまずはまるごと身体的に与えられるようなものであるべき、というきわめてオーソドックスで何のおもしろみもない芸術観から生まれています。また、そうしたものを体験しているとき、わたしは自分自身という狭い枠組みから連れ出されて、わたしでもあなたでも誰でもない、そのような境地に導かれているはずである、という、これも手垢のついた古臭い信念のようなものに依拠しています。さらに言えば、こうした信念と最も遠いように見える新しい科学や新しい技術こそ、それと真剣に取り組んでいるという、私のもうひとつの信念に基づいています。今回の審査でも、そのような芸術の可能性を感じさせる作品に出合うことができました。あらためて感謝申し上げます。

プロフィール
秋庭 史典
美学者/名古屋大学准教授
名古屋大学大学院情報学研究科准教授。専門は美学・芸術学。20年近く数学者、生物学者、計算機科学者、複雑系科学者、認知科学者、心理学者、科学哲学者、ロボット倫理学者、情報哲学者などに囲まれながら仕事をする。「情報」「生命」という観点は広範かつ多様な分野の学者と共有することができるため、そうした観点から美や芸術について考えることを心がける。『あたらしい美学をつくる』(みすず書房、2011)の出版を通じ、制作者と話をする機会が増える。