21回 アート部門 講評

「メディア芸術」 再 考 ─ 新 見 地 を 踏まえての メディアアート

今年からアート部門の審査に加わったのだが、個人的に課題として考えることがあった。現在、アートが多様化しているなか、「メディア芸術」あるいはメディアアートが、どのような位置付けを占めるのか、それが文化庁メディア芸術祭の受賞作品の中ではたして見えてくるのか、ということである。審査に入っての印象は第一に、映像作品が非常に多い。多様なメディア表現のコンセプトゆえに、結果的に映像でレポートしているというものではなく、プロパーな映像作品形式が多数を占めている。もちろん、映像コンテンツは、アニメーションから電子メディアを使用したものまで拡がりはあるが、おおよそはコンテプランによって基礎設計されたものだ。それから第二に、いわゆるコンテンポラリーアート、現代美術と呼んだ方がふさわしい作品が多い。その反面、サイエンス&アートの視点からアプローチしているもの、身体表現とメディアテクノロジーの関係を探求したものは、非常に少ない。世間一般の趨勢は、シンギュラリティ問題、脳科学、AIの進化、スーパーインテリジェンスといったキーワードに事欠かないが、その視点に真っ向から取り組んだ批評的な作品もほとんど見られなかった。さらには、近年新たな知見で再定義化され活性化している、人類史、人新世といった人類学的な見地からのアプロー チも皆無に近い。私見では、メディアアートのクリエーションの持つ重要な意義は、アートの表現/形式のフォーマットを根底からリセットする、サイエンス&アートの均衡をリデザインする作用にあると考えているが、オーソライズされた現代美術の様式、発表形態、価値観の呪縛や援用は、そうした批評性を覆い隠してしまう点がある。文化庁メディア芸術祭も20回を超え、そろそろ「メディア芸術」の定義の積極的な再考も視野に入れていく必要があるように思える。その中のアート部門は、放置された保守的雑多性の箱のままでいいのか考えさせられた。

プロフィール
阿部 一直
キュレーター/アートプロデューサー/東京工芸大学教授
1960年、長野県生まれ。東京藝術大学美術学部藝術学科美学専攻卒。90 ~ 2001年キヤノン株式会社「アートラボ」プロジェクト専任キュレーター。古橋悌二「LOVERS」(京都芸術センター、2016)、 三上晴子「molecular informatics」(山口情報芸術センター[YCAM]、2011)など、数々のオリジナルプロジェクトを手掛ける。01年より山口情報芸術センター[YCAM]開館準備室、03年~17年3月山口情報芸術センターアーティスティックディレクター、副館長兼任。YCAMでは、池田亮司「supersymmetry」(2014)、C.ニコライ+M.ペリハン「polarm」(2010)、グループ展「コロガル公園シリーズ」(2016)など数多くのオリジナルプロジェクトをキュレート/プロデュース。06年ベルリン「transmediale award 06」国際審査員。09年台北「第4回デジタルアートフェスティヴァル台北/デジタルアートアワーズ」国際審査員、14年~16年文化庁芸術選奨メディア芸術部門選考審査員。17年韓国光州市ACC「第3回ACC Festival」ゲストディレクター。