第20回 マンガ部門 講評
こんな時代が求めるそんなマンガ
「こんな時代になるとは思わなかったね」という会話をやたらとしている気がする。世界から戦争も、差別も、貧困も、病気もなくなって、宇宙ステーションで私は暮らしていたはずだった。そんなマンガばかり読んでいたせいだ。そんなマンガを学校に持っていって啓蒙活動をしていたら先生に見つかって没収されていたのに、今は文化庁で素晴らしいマンガを審査させていただいている。そんな時代でもある。どの時代にも障害はあって、生き方によってオプションの障害がついてくる。好きなことをやっているなら人生は天国だろうと思われがちだが、好きだからこその地獄がある。才能があろうとなかろうと、成功しようと挫折しようとある。それでも好きなことしかやれない人間が好きなことをやるというだけだろう。『BLUE GIANT』ではスポ根のごとくジャズをやり、『有害都市』では表現規制のなかでマンガを描く。時代で規制も評価もころころ変わる。当てにならないと心得て好きなことは好きなようにやるしかないのだろう。『未生 ミセン』では囲碁の世界で生きるはずが強制終了させられ、いまだ生きていない学歴も経験もない好きでもない正社員でもない会社員となる。だからといって不幸とは限らない。それまでの人生が無駄だったわけじゃない。まったく関係ないはずの経験が生きてくるおもしろさがある。そして偉大なる30年間のサラリーマン生活を送った『総務部総務課山口六平太』。少し早い定年になってしまったのは残念だけど、最後までバリバリの現役だったのは本当に素晴らしい。こんな時代は押し付けられているようで、どこかで自分が選んだ結果でもあるのだ。『月に吠えらんねえ』の詩人たちみたいに国威発揚のマンガが求められたりするのだろうか。それを歓迎したり非難したり、どうするかは描くのも読むのも覚悟がいる。なんでもありなのがマンガの魅力なのでそうであってほしい。そしていつか宇宙ステーションに住むのも諦めないでおきたい。