第17回 エンターテインメント部門 講評
「秩序とノイズ」この対立する概念
メディア芸術とはいったい何なのか? 僕に無数の応募作品が問い掛けてきた......。84ヵ国から集まった形態も構造も全く異なる4,347作品は、幻想世界の深い霧の中で蠢く未確認生物であるかのように、それぞれが独自の自我を保ち、呼吸をしていた。生きている、つまり、生命があるという、ただそれだけの定義が生物を生物たらしめるように、メディア芸術も、新たなる技術発明を芸術的表現に昇華させてさえいれば、ただそれだけでメディア芸術として成立するのであろうか? このような漠然としたイメージに僕が捕らわれた理由は、生物もメディアも種の起源と進化がその「成り立ち」に重要な意味を持つからである。脈々と継承される祖先の遺伝子は、社会の影響を受け入れ、内部で化学変化を起こし、進化を遂げ、新たなるエネルギーを放つ。この生命秩序ともいうべき"メディア芸術構造"は「作品」を産み出すための安定したシステムだ。しかし、そのような巨大構造体から逸脱し、突然変異を遂げた奇異なる生体の発現にこそ、真の意味で類例のない「美」が宿るのではないか? 今回、功労賞を松本俊夫氏が受賞された。松本氏は1950年代後半から、実験映画、ビデオアート、メディアアートの開墾を現在までも実践し続ける"真の功労者"である。氏と僕はこれまで幾度も対談しているが、そこでいつも議題に上がるのは、「秩序とノイズ」についてである。この対立する概念を巡るやり取りにおける氏の言葉をここに紹介したい。
「秩序は物事を捉えるパースペクティヴが均衡を保っている整合的状態であり、ノイズはその状態を逸脱し、混乱させるもの。つまりノイズは世界を成立させる固定化された境界線上に存在し、抑圧され、無視され、時には暴力的に排除されたりしている。つまり、整合的に数値化することを許さない力、あるいは概念化することができない力がノイズには宿っている。これらノイズを活性化し、反乱を起こさせることが創造におけるひとつのあり方だと......。」
"メディア芸術"の構造を理解し、それら森羅万象の中から掛け替えの無い「美」を見極めるには、まずは、秩序から逸脱し果てたノイズを可視化させる。そのことが最も重要なのだ。僕と松本氏は対話の果て、いつもこの結論に辿り着く。「ノイズにこそ精霊が宿る」と......。