第16回 アート部門 講評
未来の共有へ向けた、いま・ここの時空間とメディアの可能性
東日本大震災から2年近くが経ち、震災にまつわる美術展や公演がよく開催されるようになった。今回の文化庁メディア芸術祭の国内応募作にも、震災を契機につくられた卓越した作品が見られた。心を整理し独特な方法論に昇華して、さまざまなメディアに落とし込んだ貴重な証言として豊かに結実している。そのうちの何点かを公開し、感動を分かち合えることを嬉しく思う。 大賞と新人賞にパフォーマンス作品が選出されたが、受賞作以外でも木の枝に立ちチェーンソーでその根元から枝を切って自ら転落するといった、コミカルで命がけの映像をはじめ、他の部門でも身体行為を中心にした作品に印象深い表現が多かった。ソーシャル・ネットワークなどの広がりとともに、ある意味、「いま・ここ」の時空間の共有や願望が、逆に再認識されているに違いない。
グラフィックアートとデジタルフォトの分野では、福島の空気中の放射能を樹木に重ね合わせて表現した作品や、震災の巨大瓦礫のイメージに絵具を重ねる若手作家の作品が心に残った。またロシアの飛行場を淡々と映してホームレスと思われる男の言葉だけを流す優秀賞の映像は、単なる記録を超えて、社会への真摯な問題提起に富み、メディアの曖昧な真実と虚構の境界もさりげなく示唆している。インタラクティブアートのカテゴリーで応募して新人賞を受賞した作品は、視覚の多様性を伝える壮麗なメディアインスタレーションとも言える大作である。だが一般に、こうした領域の作品は高度な技術や開発が必要となることが多く、装置の先端性に重点が置かれやすい。作家の世界観や思想といった、生きることへの問いや芸術概念がより明確化することを期待したい。
3.11の震災以後、多数の作家たちが残した映像をウェブで発信する優秀賞受賞作、そして各国の現代音楽の作曲家と演奏家が被災地の義援を目指して構成されたウェブ作品など、過去を忘れず、未来の共有を可能にするメディア独自の手法で生み出された優れた作品に心打たれた。