第20回 アニメーション部門 講評
長編アニメーションの年
日程の関係等でエントリーされていない作品も含め、2016年は長編アニメーションの年だったと感じる。佳作、力作、傑作が揃った年だったので、大賞作品は長編にということは比較的スムースに決まった。そのすべてが応募されているわけではないのだが、審査に参加し、あらためて日本で公開された長編アニメーションの数に圧倒された。地デジ化の影響でテレビと映画の解像度の差がなくなったのも一因かと思うが、長編のアニメーションがこれだけ量産されている現状に少し恐怖を感じるところもある。が、しかし、量が質に転化した年だったのかもしれない。そのぶん短編アニメーションの影が若干薄くなった感もあるがアニメーションの多様性をより感じるのは短編作品だったし、新人賞もすべて短編アニメーションだった。3DCGにしてはいい動きだといった私の発言に、2Dの専門家のほかの審査委員から普通の動きに感じると言われ、デジタルで制作するのが普通になった現在ではすべての表現がフラットに評価されるようになったと、あらためて感じた。絵を描くことに鉛筆や筆が必要なようにアニメーション制作にはコンピュータが不可欠になったということで、それは世界中どこでもアニメーションが制作できるようになってきたということであるとも感じた。それぞれの国や地域ならではの表現であったり、ほかの国に影響されたもの、それこそ日本のアニメーションに影響された表現だったりするものが、世界中から集まってきていることもとてもおもしろかった。また、普段私が目にするメディアではないところ、プラネタリウムや演劇といったようなところでも、さまざまなアニメーションが上映されていることがわかったこともおもしろかった。日本のある個人作家がインターネットにない作品は存在しないことと同じだと言っていたが、エントリーされた作品の多くがインターネット上で観ることができるのも、なかにはダウンロードを許可している作品があることも興味深かった。