19回 アニメーション部門 講評

アニメーション独自の評価軸

今年の受賞結果は、5作品受賞と、フランス作品の活躍が目立つ結果となった。堅実なナラティブの力と洗練されたグラフィックや色彩感覚を持っているものが多く、フランスの近年の成熟の兆しを感じた。教育や助成金の充実の影響があるのかもしれない。
総評として、まず短編は、分母が増えたとはいえ、力のある作品の数とは比例していないと感じた。制作中から指導的な立場で関わっている東京藝術大学作品の審査には関与せず、ほかの審査委員に一任した。藝大や、近年短編の世界をにぎわせてきたロイヤル・カレッジ・オブ・アート、ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン、多摩美術大学などの美大系の学生作品もやや不振だった。また日本、韓国などアジアの作品も応募総数のわりには、突出した作品が少なく、全体の傾向としては、精神世界を表現した作品やネットでの限られた観客に向けた自己完結的な作品が多い印象だった。そんななかでも何本か、その完結性の徹底ぶりによって気になった作品もあったが、選出までには至らなかった。
長編、テレビアニメーションも、挑戦的な作品が少なかった。最終選考に残った作品はすべて日本の作品だったが、独自の世界のルールのなかだけで帰結してしまっていて、感情表現の安易さや、描きたい焦点がぼけているなど、問題点が多く、過去の方法論と技法の延長線上で、興行的成功を意識した保守的な作品が目立ったようだ。そのなかでも受賞に至った作品の多くは、独自の強度を持っていて、特に『Rhizome』は、鑑賞後すぐに大賞と確信した。
今年の世界の映画祭をにぎわせてきた短編作品の応募もあった。ただそれらの作品のいくつかは、今回選外となった。現代の短編アニメーション界での問題点として、技術力や表面的な完成度が、映画祭の評価にそのまま直結してしまう傾向がある。これらの作品は、映画祭や観客の受けを意識して制作されているように見受けられ、本人の切実な創作の追求とはズレがある。
こういった作品に隠れ、より問題意識をもった作品が表面化してこない。評価基準を支えるアニメーション界の評論や理論の気弱さを露呈しているのだ。アニメーションが分野特有の言語化された価値基準を持てていないことが、いまだ映画、美術、マンガから領域としての独自性を確立できていない要因ともなっていると思う。今回の審査では、技術や完成度または伝統の継承よりも、アニメーションとしての独自性、可能性を開く作品、新たな語りへの挑戦がみられる作品を評価した。審査会で盛りあがったのは、ポーランドの作家による作品『SIGNUM』の作者Witold GIERSZが、88歳の作家だったことだ。フィルモグラフィーを見ると1956年から現在まで制作を続けている。またベテラン作家、スイスのGeorges SCHWIZGEBELの新作『Erlking』も確かな力で、アニメーションの魅力をたたえていた。作家に引退という言葉は必要ない。
ほかにも受賞に至らなかったが、審査委員会推薦作品のなかで個人的に気になった作品について最後に言及しておきたい。Ivan MAXIMOV『Benches No. 0458』は、これまでの彼の作品の良質な変奏曲で、ユーモラスで、ちいさき生き物への愛のある眼差しを感じる。Alessandro NOVELLI (『The Guardian』)は若い作家だが、グラフィック、動き、音、ナレーション、どの部分も的確で安定していて完成度が高く、カフカの「掟の門前」を新感覚でアニメーション化している。同じく「掟の門前」を以前アニメーション化したことのある中堅作家Theodore USHEV『Sonambulo』も力が抜けた軽やかさで、自身のビジュアルセンスを発越させた気持ちのいい作品だった。Edmunds JANSONS『Isle of Seals』は、独自の動きと抽象的なフォルムで、いつまでも目的を達しえない「何も映らない」写真が、機知に富み印象に残った。どれもユーモアと軽妙さが特徴の作品であり、このメディア芸術祭に限らず、こういった傾向の作品が大きな評価を受けにくいのがちょっと残念だ。

プロフィール
山村 浩二
アニメーション作家/東京藝術大学大学院教授
1964年生まれ。東京造形大学卒業。アニメーター、絵本画家。東京藝術大学教授。