第17回 功労賞
阿部 修也
エンジニア/アーティスト
プロフィール
1932年、宮城県生まれ。東北大学理学部物理学科、同大学工学部通信工学科を卒業後、東京放送(TBS)技術部に入社。63年、トランジスタの発明などで知られる内田秀男から、秋葉原の喫茶店でナム・ジュン・パイクを紹介される。以降パイク作品の『ロボット K-456』『パティシペーションTV』『パイク・アベ・ビデオ・シンセサイザー』(69年~)などの技術的支援を行う。TBS退社後(70年)、CalArts(California Institute of the Arts)の講師として2年間在籍。71年にJDR 3rd Foundationを受ける。その後、東洋現像所(IMAGLA)に入社(72年秋)、技術部に在籍して写真、映画、ビデオ関連エレクトロニクス部門の開発を主に行う。92年1月に定年退職後、武蔵野美術大学講師を3年間務める。パイクの生前、死後を通し、主としてパイク作品の60~70年代の作品の修理改良を行い現在に至る。
贈賞理由
1960年代初めにさかのぼる阿部氏とナム・ジュン・パイクの出会いは、メディアアーティストとエンジニアとの本格的なコラボレーションの嚆矢であり、国際的にみても極めて早い時期にあった。その後もパイクと生涯を通じて協力関係にあり、氏なくしてはパイク作品の展開はありえなかったとさえいえる。アーティストの技術的なサポートのみではなく、対等なコミュニケーションによってその思想やコンセプトを深く理解し、常に真摯な姿勢でともに新たな表現の地平を開拓した。パイク作品のまさに共同制作者たりえた、稀有な存在である。(後々田 寿徳)