第21回 アニメーション部門 講評
アニメーションが 示 す 現 代 日 本 の リ ア リ テ ィ
今年の審査対象となった長編アニメーションは見ごたえのあるものが揃い、特に『この世界の片隅に』と『夜明け告げるルーのうた』の2本は甲乙付けがたいということで両作品ともに大賞と決まった。『夜明け告げるルーのうた』の湯浅監督は、『夜は短し歩けよ乙女』でも審査委員会推薦作品に選ばれた。同じ監督が同時に長編2篇で大賞と審査委員会推薦作品に選ばれるということも、珍しいことであると言えよう。『この世界の片隅に』と『夜明け告げるルーのうた』は、作品として両極にあるように見えるが、しかしそこには現代の抱える共通した問題を見ることもできる。『この世界の片隅に』の主人公は普段はボーっとしたところがあり、失敗を重ねる。要は現実に対するリアリティが乏しい。『夜明け告げるルーのうた』の青年も、現実対して疎隔感を感じ、現実に対するリアリティが乏しい。そうした現実に対するリアリティの乏しさが、他者と接することで、徐々に活性化され、最終的には元気になり、現実に対するリアリティが回復する。そうしたリアリティを回復するプロセスが、アニメーションの持っている動きによって導き出されてくる。長編アニメーションの審査委員会推薦作品には、他に『劇場版響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』と『きみの声をとどけたい』の2作品が選ばれた。これら2作品に「届けたい」という用語が漢字とひらがな表記の別があるとはいえ、共通していたのは興味深いことであった。届けたい何かがあるということであり、それを作品にしているということである。登場人物の抑制されていた心が、他者との関わりのなかで徐々に解放され、他者との親密な絆が形成される。そこには『この世界の片隅に』と『夜明け告げるルーのうた』におけるリアリティの乏しさとは違った、心が伝わらないもどかしさがある。そして心が伝わらないもどかしさは『夜は短し歩けよ乙女』にも共通していた。ここで挙げた長編アニメーションは、いずれの作品においても女性が中心となり、その個性が際立つ、さらには女性の共感する力が威力を発揮している。女子力がアニメーションのなかの大きな流れになっているように思える。その傾向は短編アニメーションの『ハルモニアfeat.Makoto』にも認められる。とはいうものの『BLAME!』のように戦闘場面のリアルさが、戦闘服に残る傷痕に裏打ちされ、強調される作品もあった。『COCOLORS』においては、地下深くに防護服なしには生きられない環境が描かれ、個性は防護服の材質感によって示されていた。本来顔やその表情が持っていた魅力が、こうした作品では、服の材質感の魅力へと移行しているように見える。言い換えれば、個性を身に着けるもので代用させて描こうとしているかのようである。短編アニメーションの『Negative Space』は、衣服をいかに効率的にバッグに収めるか、という一点に集中している作品であり、身に着けるものへの関心がある。人形アニメーションの『Toutes les poupées ne pleurent pas』は、人形そのものを壊れたら取り換える、といった内容のものであり、人形の個性が、ある時突然はぎ取られてしまう。そこには衣服を着替えるのと同じ発想がある。同じ人形アニメーションの『JUNK HEAD』は、衣服ではなく、顔を取り換えてしまう。こうした作品群では、個が個として成り立つというよりは、衣服や顔のすげ替えや、身体を取り換えるといったように、交換可能なものの集まりとして個があるように描かれている。日本の長編アニメーションでは届けたいものは人の心、と言っているように見えることと、心を持つべき個が交換可能なものから成り立っているという短編アニメーションが描くこととは、日本の抱える心の本質的な特徴の両面なのであろう。『Toutes les poupées ne pleurent pas』は外国作品なので、日本の特徴を語るにふさわしくはないかもしれないが、身体の扱いについては、共通性を見ることができよう。