第24回 アート部門 講評
文化的記憶の喪失とメディアの自己表現
私の審査委員として最後の年は、文化庁メディア芸術祭と同時期にスタートしたメディアアートにおける探求の旅を振り返る時間となりました。メディアアーティストにとって、24年間という長さはほぼ一世代に相当します。メディアアートの進化、アーティストたちによる新しいメディアの応用、また、実行委員会やフェスティバルはこういった変化をどう反映し、どう贈賞するのかを注視していきたいと思います。メディアアートは、人によってさまざまな意味を持ちます。アーティストたちは、新しいメディアが持つ技術的な可能性への理解から、それをコントロールしながら芸術性を追求する一方で、想定外の形へと具現化しますが、それはアーティストの自己表現ではなく、アーティストによって媒介されるメディアの表現であるべきです。アーティストは、前衛的な役割を果たすとともに、社会や技術における最先端技術の探求を深めることが大切です。しかし、メディアアートを学ぶ学生の数が増えるにつれ、似通った前提、社会的観察、技術的スキルのうえに成り立った作品が多くなり「文化的記憶の喪失」が生じています。メディアアート作品の審査においては、主観的な順位付け、異質な作品同士の比較、そして作品を本質までそぎ落とし理解することが重要です。審査の場だけでは伝えきれない作品の場合、「作品のコンセプトや形態は何か?」「作品の技術的な側面での革新性やおもしろさは?」「社会状況にどう作品が関わっているか?」といった点を作品に要約、提示する創意工夫がアーティストに求められます。この3年間、本芸術祭にてアート部門の審査委員を務めさせていただいたことを大変光栄に思っています。多くの作品への洞察を得られたことはこのうえない幸せであり、審査委員同士の交流や議論ができなくなることは寂しい限りですが、今後のメディアアートシーンや私個人の作品、文化庁メディア芸術祭がどう進化していくか、また次世代での発展に期待を寄せています。