22回 受賞作品アニメーション部門Animation Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 宇田 鋼之介
    アニメーション監督・演出
    アニメーションが本来最も得意とする手法
    今年度の大賞は『LaChute』が受賞した。カテゴリー分けをしないとどうしても長編に決まりがちなのだが、短編アニメーションが大賞を取ったことは大きな意味があると思う。「崩壊」とか「落ちる」といった意味のタイトルのこの作品は、逆説的に「再生」「希望」を表現しているように自分は感じた。見る人によっては全然違う印象を持つかもしれない。それもよしとする懐の深さを持った作品だ。去年との比較しかできないが、今年の作品は希望やその先をテーマにした作品が多かった印象だった。そして女性が元気な作品も多かった。また、キャラクターの造形的に丸い作品が多かったのも特筆すべき点だと思う。見る側を圧倒するがごとくなシャープなキャラやデザインされ過ぎたキャラではなく、柔らかいタッチで構えさせることなく映像の世界へ導いてくれる。内包するテーマが重いものであっても、間口を広く取ることによって優しく作品に引き込むこの手法はアニメーションが本来最も得意とする手法だ。『若おかみは小学生!』『ペンギン・ハイウェイ』『ひそねとまそたん』など最終選考まで残った作品にはそういった手法のものが多く残ったわけだが、実写ではできない、アニメーションだからできる作品が多かったのはある種の原点回帰を感じる。『LaChute』が大賞を受賞したのだが、ほかにも『大人のためのグリム童話手をなくした少女』『透明人間』など優れた作品が多かったのも印象的だった。表現方法に作家的なこだわりを持ちつつもテーマの理解しやすさにも気を使ってるのを感じた。お話で勝負できる長尺と違い、短編はイメージ先行で難解になりがちな作品が多いのだが、そうではなく間口の広い、テーマを押し付けない作品が多かったように思う。10年ごとの年代で作品の傾向を語られることが多いが、2010年代も終盤に差し掛かり、作品傾向の潮目が変わる時期なのだろうか?そんな単純なものではないのだろうが。
  • 木船 徳光
    アニメーション作家/IKIF+代表/東京造形大学教授
    継続して制作することの意味
    毎年これだけの作品が制作されていると思うと、アニメーションはまだまだ発展し続けている分野だと感じた。作品のフォーマットや制作方法が安定していないことが、変化し続けていることが、原因のひとつだと思う。最先端は相変わらず安定しないまま大変な状態である一方、タブレットでもアニメーションの制作ができるようになり、入門者向けの部分では簡単に制作を始めることができるようになってきた。制作者の裾野が広がっていることが応募された作品全体を観ると実感できた。賞の選定は比較的スムーズに決まった。審査委員の意見がそれなりにまとまっていたのかもしれない。正反対の評価になった作品も、そういった見方もありだなと思うことができた。私のなかにも勝手に師事した先生がいて「動いていないですね、外連味が足りない」と言ったり、「血の色をしていない映像だ」と言ったり、「商業的すぎますね」と言ったりする。アニメーションの評価の軸はいろいろあって、人それぞれで良いと思っている。コンペティションによって受賞する作品が変わるのも、応募された作品がそもそも違うこともあるが、そのときの審査委員による部分が大きいので、今回受賞に至らなかった人も来年度も諦めずに出品してほしいと思う。とはいっても大賞を取る作品はやはり素晴らしいもので、『LaChute』はアニメーションならではの現実ではあり得ないループする動きの積み重ねがとても魅力的だった。前回アート部門で審査委員会推薦作品に選出された際も同じような傾向の作品だったが、今作では物語性や世界構築といった新たな魅力が足されていた。大賞にふさわしい傑作だと思った。審査委員会推薦作品の中では『リズと青い鳥』が冒頭しばらく歩いている足元のシーンで、実験映画のような緊張感のある画面が続く傑作と感じた。また『Mom'sClothes』はコマ撮りすることで見えてくる動きが気持ちよくて、推薦しなくてはと強く思った。全体的に作者の成長を感じることができる作品が複数あり、来年以降がとても楽しみである。
  • 西久保 瑞穂
    映像ディレクター
    刺激を求めて
    今年の中長編アニメーションはまとまりの良い作品が多かった。特に優秀賞の『ペンギン・ハイウェイ』『ひそねとまそたん』『若おかみは小学生!』は完成度が高い。ただ『大人のためのグリム童話手をなくした少女』のような刺激的な作品が少ないのが寂しかった。一方短編アニメはバリエーションに富んでいて楽しめた。大賞の短編『LaChute』は地獄絵巻のような不気味な世界観で、ルーズなショットは観客に何を見て何を感じるかを求め、弦楽器の不協和音が異物感を与えて刺激的だ。優秀賞の長編『大人のためのグリム童話手をなくした少女』はとても新鮮な表現で、アニメーションとは何だったのかを考えさせられる作品で私の一押し。簡略化された映像が第20回の優秀賞作品『父を探して』を思い出させるが、本作は未完の荒々しさが醸し出す情感に心打たれる。1コマでは部分を描き、動画として繋がったときにその絵が現れるという省略手法で、この荒く不安定な映像は主人公の感情と重なる表現ともなっている。余白の多い本作は情報過多なアニメーションに慣れ親しんだ人にこそ観て欲しい刺激的な作品だ。短編のおすすめは『THELOSTGARDEN』で、美しい絵本のような映像と豊かなイマジネーションが、シンプルで声高ではない素敵な物語をつくり上げている。また『LoveMe,FearMe』は粘土という素材を生かしきったアニメーション。シンプルながら喜怒哀楽も上手く表現されていて、深読みすれば時の流れへ広がりもする。ほかには、普通の物語を映像美で乗り越えた『BlueFlight』や、コラージュ的映像と音響が上手く化学反応したインパクトの『32-Rbit』、そして圧倒的な画力の新人賞『AmIaWolf?』が気になる作品だ。またネット配信のシリーズ作品『DEVILMANcrybaby』はテレビでは放送できないかもしれないエログロな表現を含め、人間の欲望などが重層的に混在していて興味深い。なおこの作品はフラッシュアニメを使って少人数で制作していることにも注目したい。
  • 森野 和馬
    映像作家/CGアーティスト
    多彩な表現と接近の相違
    近年におけるアニメーション表現の多彩さ、これはコンピューターの役割やネットの進化によるところが大きい。制作方法は変化し続け、少ない経験でレベルやクオリティのアップを実現し、情報アクセスも容易になり、質・量ともに膨大な作品に触れることで、映像表現が何たるかを理解できる。このことから感覚や熱意を持ち合わせれば、短期間にスキルを上昇させることが可能となり、良質な作品を生み出すことになった。昨今のように多くの高品質なアニメーション作品がつくられているのも当然である。また作品を発表する行為には、自分の考えを理解して欲しい、作品を見てもらいたいという思いが伴う。つくり手の考え方は「多くの人に伝えたい」、「感度の良い人に伝われば良い」とさまざまで、そのことが作品の質を決定する。そして作品の向かう方向性は、ポジティブな部分とネガティブな部分をつくり、「個性的」、「没個性」、「難解」、「わかりやすい」などの評価を生み出す。そんな多彩で受け手への接近の違いが、アニメーション表現の審査の難しさであり、審査委員の個性が影響する部分である。大賞は『LaChute』。独特の感性はすべての人に享受できるものではないが、異端的で「しつこい」とも思えるループ表現は、見る者を圧倒的な敗北感にし、強い印象を残すことに成功しており受賞に値すると感じた。『透明人間』は非常に野心的でインパクトある作品で、絵と絵が繋がり動き出すアニメーション独特の魅力を感じる作品であった。総評として、全体的に粒揃いな作品が多かったが、際立った作品は少なかったように思う。また長編アニメーションは似通った題材が見られ、物語としては少し新鮮さが足りなかった。私見になるが、メディア芸術祭での審査は、ほかのアニメーションコンペとの違いを生み出す必要性を感じるが、本年大賞となった作品は空間として感じるようなタイプで、物語鑑賞タイプでない作品が受賞したのは意義深いことである。
  • 横田 正夫
    医学博士/博士(心理学)/日本大学教授
    アニメーションにおける日常のゆらめきとこころのつながり
    文化庁メディア芸術祭における本年度のアニメーション作品において、短編では人生のさまざまな困難が描かれていたのに対し、長編でははつらつとした女性によって元気になる人々が描かれていた。アニメーション部門の大賞は短編の『LaChute』であった。この作品のループとなった展開は、人間の生死、天国と地獄を想像させ、人間の営みの全体が象徴的に示されていた。人間の営みをループ状の展開で示すのは、ほかの作品にも認められた。例えば、『Circuit』では出来事がひとつの連鎖をなしており、その連鎖は反復することを示していた。日本の『WATERINTHECUP』もカップの中の水を飲むことをきっかけとしてこころのなかでの反復が描かれていた。この日本の作品は、外的出来事の連鎖を描く外国の作品に比べるとこころの内面を描いている点で特異であった。こうした外国作品と日本作品のあいだの質的な差異は、ほかの側面においても認められる。例えば、困難な体験の描き方である。『Carlotta'sFace』は他者の顔を認識できない障害を持つ子どもの困難が描かれており、いじめや教師の無理解にあったことが示されていた。他者の顔が認識できないということの体験が他者との関係でいかに不条理に満ちているかを実感させてくれていた。新人賞を獲得した『AmIaWolf?』は、舞台で劇を演じる少年が狼に扮して子ヤギを怖がらせてしまうが、その怖がらせてしまった自分をあたかも狼そのものになったように感じてしまう。これら二つの作品は他者との関係のなかでの体験の質は、他者からはうかがい知れない側面があることを示している。これに対し日本の作家の作品は若干異なった色彩がある。子どものアレルギーを扱った『サムライエッグ』では、死につながるかもしれないアレルギー症状が、両親や近所の人の尽力によって対処される。疾患ということではないが新人賞の『透明人間』では、身体が透明であるばかりでなく軽いために重しなしでは浮き上がってしまう人間を描いている。こうした特異な体質は、社会的な無視によっていかに心が傷つくかを象徴的に示している。しかしそれにもかかわらずこの透明人間の行動は、暴走した乳母車の赤ちゃんを助けるというものであった。これら2作品で日本の作品を代表させるわけにはいかないであろうが、それでも日本の作品は援助行動を描くことでこころがつながることを強調する。こころがつながることを描く特徴は日本の長編作品にも見出せる。興味深いのは、こころがつながるのは人間とのあいだだけではないことである。優秀賞を獲得した『ひそねとまそたん』では、航空自衛隊の女性パイロットがドラゴンとこころを通わせていた。同じく優秀賞の『若おかみは小学生!』では、小学6年生の女の子が幽霊とこころを通わせていた。これらのこころの通い合いの経過において多少の困難に出会うにしろ主人公が葛藤状態に陥ることはない。また『リズと青い鳥』では親友のこころのすれ違いを描いているが、彼らのこころのつながりは、友人との語らいによって、容易に回復する。つまり日本の作品ではこころはつながるということが前提となっている。こころのつながりは家族のあいだでも強調される。『未来のミライ』では過去の家族関係ばかりでなく、未来のそれをも見せ、個人が過去ばかりでなく未来の家族のこころの支えによって成り立っていることを示していた。青春期の男女を描いた『君の膵臓を食べたい』においても、母親が、さりげなく青年期の男女のこころを支えていた。これら日本の作品に対しフランスの作品で優秀賞の『大人のためのグリム童話手をなくした少女』では、主人公の女性は、父親や夫との関係を悪魔の手によって断絶させられ、死の危険を伴う苦難の果てに、やっと夫とのこころのつながりを得た。夫婦のあいだにおいてもこころがつながるのは奇跡的な出来事であった。こうしたこころのつながりにくさは、こころがすぐつながってしまう日本の作品のなかにおいては独特であった。