25回 受賞作品アート部門Art Division

大賞

優秀賞

ソーシャル・インパクト賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 八谷 和彦
    アーティスト/東京藝術大学准教授
    今年の審査と、 気になった傾向
    今回公募の発表期間中、新型コロナの影響で多数の展覧会が中止になったため、応募作品数が激減することを懸念していたのだが、応募数に関しては例年なみに落ち着いた点には安心した。作品の質としても昨年同様優秀な作品が多かったと感じているが、これに関しては応募者ならびに多くの作品に目を通し一次審査を担っていただいたアート部門選考委員の各位に感謝を述べたい。おかげさまで今年も多くの良質な作品のなかから審査をすることができた。ただ今年は大賞として文句なし、というほどの圧倒的な作品はなかったので、大賞候補の審査に関してはさまざまな観点から慎重な協議が行われた。個人的には大賞の『太陽と月の部屋』は地方におけるこの分野の活用として貴重な例だと思うし、またぜひ実際に現地に行って体験したいと感じさせるパワーを持っていると思っている。
    優秀賞、ソーシャル・インパクト賞、新人賞では、どの作品をどの賞にすべきかの議論に関してかなり長時間使って協議を行った。一方で惜しくも各賞に残すことができなかった作品に関しては、審査委員会推薦作品となっており、こちらは結果的に昨年よりかなり多くの推薦作品を残すことになった。推薦作品と各賞受賞作は僅差だったことも、改めて記載しておきたい。
    なお今年の審査で気になったのは、海外作品の傾向として、気候変動やCO2削減に関する作品が非常に多かったことだ。SDGsの意義自体は大事とは思うが、あまりにこのテーマの作品が多い点については、思考停止を感じたのも事実だ。アートは個人の問題意識から出発して、リサーチと検証を重ね、作品の形にしていく活動だと考えるが、その際に「社会的に正しいとされていること」だけを安易にテーマにするのは実は危険なこととも思う。幸い国内の応募作品には本来の意味での多様性が残っていて安心したが、この点は審査の雑感として残しておきたい。
  • 田坂 博子
    東京都写真美術館学芸員
    自らの価値観と 向き合う作品審査
    審査委員最後の年となりました。作品を審査することには最後まで慣れないまま、3回の審査を経験して実感したのは、賛否が分かれ、議論となる作品と出合う機会があればあるほど、審査委員が持っている既存の価値観や常識が揺さぶられ、新しい視点や発見が生まれるということでした。同時に、審査委員は、作品の前で丸裸にされて、最終的には、各作品のメッセージをどれだけ理解して、代弁することができるかという責任を持つことになります。その意味で、今回の審査では示唆に富む発見が多かったと同時に、自らの価値観を問う機会も多くありました。その理由は、ポスト・パンデミックの時代という状況とも少なからず関係しているのだと思います。ただ、それは直接コロナ禍の状況と直結しているメッセージ性を持つ作品が多かったという意味ではなく、創作や人とのコミュニケーション、移動の制限下のなかで生み出された新たなビジョンへの展開が作品を通じて見出されことが多かった点にあり、同時にそのような作品群と出合えたことに希望を感じました。また前回の審査講評は、2度目の緊急事態宣言を目前とした緊迫した事態でしたが、今回も緊急事態宣言下でないとはいえ、緊迫した状況に変わりはありません。このような状況にもかかわらず、第24回に比べて減少しているとはいえ、アート部門へ約1,800の応募数があったことは、素晴らしいことだと思います。
    今回の大賞は、anno lab(代表:藤岡 定)をはじめとする『太陽と月の部屋』に決まりました。太陽の光の動く軌跡をテクノロジーによって制御しながら、来館者が光の動きをさまざまな機能から直接体験できるシステムを、コミュニティに根ざした調査や領域の異なる人々との協働によって実現した点で、審査委員から高い評価を得ました。『太陽と月の部屋』は、サイトスペシフィックの作品であり、アーティスト個人ではなく、協働で実現している点に特徴があります。オンラインが中心となっていく生活のなかで、自然と人間との関係を、地域的なコミュニティとの協働も含めて、技術面の実装を駆使しながら実現した点にこの作品の強度があると思いました。いかなる作品も、とりわけメディア芸術作品に関して、作品は作家個人のみならず、技術協働者を含め、さまざまな協働で成立しているものですが、アート部門に顕著な作家性に特化した枠組みでは、見えにくくなってしまう部分があるなか、創作における協働の重要性を強調できる機会となったと実感しています。
    一方で、優秀賞の山内祥太『あつまるな!やまひょうと森』は、リアルとオンラインの空間を作家自身の身体が行き来することで、コロナ禍でヒットしたオンラインゲームへ没入してしまう人間の欲望をパロディ化し、またTheresa SCHUBERT『mEat me』は、自身の血液から採取した血清を利用して培養した肉を食べるというコンセプトから、人間と動物のあいだの消費主義のヒエラルキー関係への批判を自らのパフォーマンスを通して行っています。両者はまったく異なる作品でありながら、特に『mEat me』はタイトルも含めて一見衝撃的なパフォーマンスですが、両作品とも個人の作家が自らの身体を通して、社会の仕組みや構造を批判的に捉えようとし、かつユーモアを含んだ表現へと昇華している点に共感が集まりました。
    功労賞は、グリッチやノイズ・ミュージックの先駆者の刀根康尚氏が受賞しました。1960年に小杉武久、水野修孝、塩見允枝子らとともに即興演奏集団「グループ・音楽」を結成し、以降、音楽と美術の境界を超える活動を行ってきた刀根氏は、音声メディアを対象化する理論的な考察を構築しながら、音楽そのものを徹底的に批判することでメディア表現を実現してきました。この受賞は非常に意義深いことだと思います。
    最後に一点、AI技術を含め最新の技術を利用したメディア表現が生み出されるなかで、複製メディアに伴う著作権や肖像権の問題もより複雑になっていますが、審査においては、その法律上の判断も含めて誰が責任を担っているのかがいまだ曖昧な線引きしかなされていないと考えています。審査委員はあくまでメディア表現のクオリティを審査する立場であり、この点の議論を活発に行っていくことが、今後のメディア表現の土壌を強化していくことになるのだと思います。
  • 竹下 暁子
    山口情報芸術センター[YCAM] パフォーミングアーツ・プロデューサー
    それはもう 始まっていた
    結局パンデミックが収束しないまま過ぎていった2021年を、私たちは後にどう振り返るだろうか。
    山内祥太『あつまるな!やまひょうと森』、花形槙『Uber Existence』はコロナ禍をきっかけに需要が増大したデジタルコンテンツやサービスに言及しながら、メタバース時代にシフトしつつある私たちを切り取った。後者はコロナ禍によってさらに鮮明になった社会構造を背景にし、それはコミュニティのなかでの自分の位置と、そこから相対的に社会を意識させるダニエル・ヴェッツェル/田中 みゆき/小林 恵吾×植村 遥/萩原 俊矢×N sketch『あなたでなければ、誰が?』ともつながるだろう。さらには撮影、機械学習、画像処理技術などを組み合わせることで新たな身体・映像表現を提案したELEVENPLAY x Rhizomatiks『S . P . A . C . E .』はソーシャル・ディスタンスを創作のきっかけとしている。
    パンデミックが始まって1年以上が経過した2021年。「非日常」そのものではなく、すでにそれ以前から変化していたリアリティが前景化し加速化したことを丁寧にすくい上げ、思考し、または実験のきっかけにしたパフォーマティブな作品が印象に残った。
    最後に付け加えると、実はコロナ禍に端を発した作品以上の件数に上ったのが、AI技術を用いた表現であった。もちろん数年前から増加傾向があったのかもしれないが、マシンの介入による社会変化や環境制御の可能性、マシンと人間の関係性の問い直しとそこから生まれる新たな美学、データセットの偏りから生じる社会的格差といった実問題など、アーティストの動機や関心は多岐にわたった。残念ながら、応募資料だけでは技術的な達成度や最終的な表現との関連性が判断しにくいケースもあり、課題も残ったといえる。しかし、学習の結果に対する考察や表現への昇華プロセスなど、今後のAIと創造の深化に期待したい。
  • クリストフ・シャルル
    アーティスト/武蔵野美術大学映像学科教授
    「作品」の体験と 流行について
    文化庁メディア芸術祭のそれぞれの審査委員の専門や趣味は必然的に作品の選定にも反映され、一人の審査委員だけがひとつの作品を高く評価しても、ほかの人がそれを評価しなければ、その作品は選から漏れる。これは残念な点ではあるが、総合的に審査委員の意見はそれほど割れることはなかった。したがって単なる個人的な観点に頼ることなく、メディア芸術の現状に対するグローバルなビジョンを反映した作品が選ばれたと考えられる。
    作品の閲覧方法に関して残された問題のひとつは、多くの場合は実物ではなく、映像や文章による記録を通して作品を「体験」することになる。審査委員は作品の記録からその「現実」や「実態」を想像しなければならない。作品の視聴覚記録とアーカイブ化、プレゼンテーションのデザインのクオリティがますます重要になってきているので、アーティストが自分の作品を伝えるためには記録も作品の一部として考えたうえでそのアーカイブ化に真剣に取り組むべきである。
    もう一方の問題として、審査委員が注意しなければならないのは、ほかの作品を部分的にでも模倣した作品を正確に見抜くことである。作家の数が年々増え、通信媒体が効率化するにつれ、流行はますます強く拡大していく。同様なテーマを扱い、同じような技法を使うため、多くの作品が似通ったものになる。結果オリジナリティに欠け、驚きが感じられなくなり、あまりにも似通った形態・形式に隠された相違を探すことが重要になってくる。こういった「模倣」は昔からよくあることではあるが、現代では同時代の作品に関する情報や制作ツールの入手が容易なため、このような流行は残念ながら、アイデア、美学や技法の平均化につながっている。ともあれ文化庁メディア芸術祭はいわゆる「メディアアート」の世界的現況を概観できる素晴らしい場である。この審査に私を招待してくださったことを心より感謝申し上げる。
  • 岩崎 秀雄
    早稲田大学理工学術院教授
    残念ながら 選ばれなかった 方々へ
    新任審査委員として最初にお伝えしたいことは、選外となった方に、必要以上に自信を失ったり、焦燥感に駆られたりしないでいただきたいということです。文化庁メディア芸術祭には歴史があり、特有の磁場や文脈があります。審査委員としてはその文脈を尊重しつつ、全力で応募作に向き合い、真剣に議論を交わし、今回の結論を導いたつもりです。ですが、もともと芸術祭のためではなく、それぞれの固有の文脈のなかで制作・発表された応募作の前提や機微を十分に評価できなかった場合も少なからずあったでしょう。審査委員が一人でも違ったら選ばれなかった作品や、逆に選ばれることになった作品もあったはずです。選外になった方には、一層意欲作に取り組んでいただき、世に問うていただければ、と心から願っています。
    審査のうえでは、VR作品やサイトスペシフィックな作品など、実際に体験できない応募作が多かったことが想像以上に大きなハードルでした。何とか情報を集めて想像で補いながら必死に食らいつこうとするものの、歯がゆく思う場面も多かったです。一方、応募者側のもうちょっとの努力で回避できる困難もありました。それは、作品の構成、特に技術的な情報(素材や仕掛け、どの程度実際に実装されたものなのかなど)についてです。その記述が不足していたがゆえに判断することができず、選外になったものが実は少なくありません。実際の展示においては、詳細な構成の記述を控える判断があることも理解できますが、審査においては技術的な情報がきちんと与えられていることはかなり重要な判断材料になりました。
    なお今回は、よく練られ、高度な技術レベルで実装された作品に多く恵まれた一方、強靭な批評性を帯びた作品や、先鋭的で実験的な作品はやや少なかったようにも思います。それでも今回の審査を通じて多くの応募作に向き合うことで多くの気づきや学びがありました。このような機会をいただいたことに感謝しつつ、メディア芸術の多面性や可能性をさらに見せつけてくれる意欲作にまた出合える機会を楽しみにしています。