15回 受賞作品エンターテインメント部門Entertainment Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 寺井 弘典
    「ライブ」と「共感」の新たな体験
    この部門の応募作品で特に面白かったジャンルがWeb、アプリ、そして映像作品で、果敢に新しい体験の創造に挑戦している傾向が見られた。その中で通底するテーマが「ライブ」であり「共感」である。例えばソーシャルネットワーク上で盛り上がりを見せたのはUSTREAMのライブ中継であり、その感動をTwitterやFacebookで共有し語り合うという共通体験の言葉がネットを飛び交い、コミュニティの深化と広がりを加速させている。
    物理的に同じ会場では共有体験できない人々を結びつけて共感させ、宇宙にまで連れていった『SPACE BALLOON PROJECT』が今年のエポックだったといえよう。また、Facebookの個人情報を用いて、いち早く共有体験させ、個々のネットワークのかけがえのなさや、個人情報の尊厳に気付かせた『The Museum of Me』も見事だった。iPadアプリ仕様作品の特徴としては、様々なアイディアが剥き出しになっていて、開発者たちが逞しく貪欲にリリースを続けているのが頼もしい。ゲームタイトルは業界の趨勢として長大なビッグタイトルが目立ち、実験的なゲームタイトルは応募すらされなかったのではと危惧している。日常においてはもちろん、一人ひとりが分断された生活を送っているのだが、たまには好きなコミュニティにソケットを刺すように参加したり、「ライブ」と「共感」のエンターテインメントを楽しむという動きが出てきたことに今後の期待が持てた。次は「リアル」な体験を実際に生み出すものが出てくるのだろう。
  • 斎藤 由多加
    ゲームデザイナー
    常に、表現へのあくなきチャレンジを
    今年の審査は、各審査委員同士で「時代性」「革新性」「オリジナリティ」などを基準に進めることを事前に確認し合ってスタートした。その結果として、この受賞作品を見ていただければわかることだが、実にユニークな作品が今回も受賞するに至ったわけである。文化庁メディア芸術祭はメディアアートを軸としているため、より個人に近い意味としての「表現」に重きが置かれている。その傾向として、特に今年は受賞する作品のカテゴリーに偏依があったことを述べておきたい。
    映像作品は例年に増してユニークかつ面白いものが多かった。また iPhone などのアプリ作品も、クリエイターたちの取り組みが熟成期を迎えつつあるのだろうか、完成度と遊び心の双方を失わず、かつ斬新なものが多く、審査会の空気が和まされたのが印象的であった。逆に残念だったのは、高評価を集めることができたゲーム作品や遊具が例年よりも減ったことで、旧コンシューマー業界が直面している課題を物語っているかのようでもあった。空前のスマートフォンとソーシャルのブームが、その背景として大きく影響していることは推測するに難くないけれど、私自身がゲーム業界に身を置く者だけに、この状況は残念でならない。その中で唯一、新人賞に残った『デジタル戦士サンジゲン』は、個人の作品らしい新しい切り口の実験的な作品で、コマーシャリズムという亡霊にとらわれない「あたらしさ」の片鱗が随所に感じられた。
    ハードウェアの進化やネット環境など時代の潮流に依存しやすいメディアアートではあるが、「アート」である以上、表現者らによる「表現へのあくなきチャレンジ」は決して損なわれてはならない。日本を元気にする意味でも、来年は更なるクリエイターの方々の活躍に期待する次第である。
  • 岩谷 徹
    ゲームクリエイター/東京工芸大学教授
    「ゲーム」と呼ばない時代が来る
    寄せられた作品群は特定の情報端末に集中し、コンパクトにまとまった内容のものが多かったが、個人で創作可能な制作環境が構築された結果としてか、個性的な発想の作品に出会うことができ選考も楽しめた。
    文化・芸術には、良いものは変えないという価値観が存在するとともに、新しい流れを創っていく価値観も存在する。今回は普遍的な「遊び」のセンスと、アウフヘーベンする革新魂を選出基準として作品と触れ合っていった。小気味良い遊び感覚がさりげなく盛り込まれた、出しゃばらない風潮の作品に若者の感性と時代の流れを感じることができた。そして作品に触れた際の体験がいつまでも頭から離れないような、「新しいとしか言いようがない」そんな次世代を感じる作品創りを目指してほしいとも強く感じた。
    また、映像・アプリ・ゲーム・遊具などの各カテゴリーを横断する内容の作品が多く見られ、遊べる映像だからゲーム、便利アプリであるが時々遊べるからゲームと、従来からあるゲームカテゴリーの境界線が見えなくなってきているのも一つの流れである。このことは実は、作者も受け手もゲームを意識せず、自由に大らかにメディアに接していることの証しであって、逆にゲームのこれからの可能性と広がりを示唆しているとも解釈でき、携帯電話機が多様な呼ばれ方になった経緯と考え合わせると、ゲームも別の呼ばれ方をする時代がすぐそこまで来ているのかもしれない。
  • 伊藤 ガビン
    編集者/クリエイティブディレクター
    体験の共有をデザインするエンターテインメント
    私自身が今年の作品で印象に残っているものは、ほとんど「イベント」が絡んでいたように思う。大賞の『SPACE BALLOON PROJECT』はもちろん、体験型の展示作品だったり、映像作品のように見えて実はストリーミング放送とソーシャルメディアを使った体験の共有としてデザインされていたものが多かったのではないか。人々が「それ」を求めたということが、人とメディア環境を考える時に大きなヒントを提供しているように思う。
    ネット環境が人々の生活の細部にまで侵入し、ソーシャルメディアがそれぞれの人にとって、それぞれの情報を提供し始めた結果、多くの人が同じものを見る、体験するといった機会が減った。その反動か、みんなで同じものを見て盛り上がる、といったカタチのものがたくさん登場し、人気を得たことは2011年の記憶として刻みたい。一方、エントリーされたコンシューマゲームの低調は今年も続いた。これはゲームの衰退なのだろうか? しかしソーシャルアプリなどは多くの人たちが楽しんだ。また『アナグラのうた』のようにゲームデザイナーが作ったナニカもある。その体験はかつてのゲームのある部分を確実に掴んでいる。ゲームはメディア環境の中に溶け込み、それをゲームと呼ぶ機会がなくなっただけのような気がしないでもない。今はまだ審査のまな板に乗らないナニカにも目を配っていくことを怠らないでおきたい。
  • 内山 光司
    クリエイティブディレクター
    支配的でもサロン的でもない、自由な表現の場から生まれるシーン
    エンターテインメント部門における審査基準について教えてください。
    ゲーム、ミュージックビデオ、遊具など、エンターテインメント部門はメディア芸術祭の中でも特に多様な形式の作品が応募されるため、明確な審査基準を設けるのは困難です。企画規模もレンジが広く、フラッシュアイディアをそのまま形にしたような玩具と、構想から実現まで3、4年もかけたような巨大なプロジェクトを同じ土俵で審査しなくてはいけない。ただし、それらが「エンターテインメント作品」として応募されている限り、唯一の条件は「人の心を動かすかどうか」ということに尽きるでしょう。いかに人の心を掴むのか。それがエンターテインメントの基本だと考えています。

    今年の受賞作品の中で特に気に入っているものを教えてください。
    大賞を獲得した『SPACE BALLOON PROJECT』は印象的でした。ネット配信というリアルタイム性、宇宙まで到達するという壮大な規模、もちろん万全の態勢で挑んでいるとは思いますが、成功するかどうかもわからないドキドキが生む高揚感は極上のエンターテインメントでした。パソコンや携帯電話の画面越しではありますが、自分の手の届く所に宇宙が見える。テクノロジーが発達し、一般化したからこそ実現することのできた感動です。
     グループ魂の『べろべろ』も印象深い作品でした。これは東日本大震災前に作られた作品なのですが、事後に震災を意識してつくられた作品よりも、2011年という時代が生み出した閉塞感へのカウンターとして機能していると感じました。ただ前を向いて歩き続けるという映像なのですが、強く心を掴まれましたね。

    受賞を逃した作品やノミネートされなかった作品も含めて、2011年のエンターテインメントの状況についてご意見をお聞かせください。
    文化庁メディア芸術祭は「芸術」の名が付くアワードですが、エンターテインメントは芸術に依存しなくても成立し得るものです。もうひとつ、時事的な側面から震災をテーマとした作品こそを評価しようとする流れは、エンターテインメントにはそぐわないと考えています。エンターテインメントはアートというよりも、サービスやおもてなしといった振る舞いに等しい。アートは自己表現であり、それはエンターテインメントの条件の1つである「相手をもてなす」という志とは異なる動機があります。
     今年もゲームとTV CMに特筆すべき作品が少なかったのが残念でした。話題になった広告はもちろんありますが、技術的な面白さや仕掛けは備わっていても、人の心を掴むかというと話が違ってくる。昔はTV CMからも多様な表現が生まれていましたが、現在はエンターテインメントにおけるイノベーションは別の場所で生まれているという印象があります。

    人の心を掴む広告から、話題になる広告へと役割が変わっていっているということでしょうか。
     もちろん、広告である以上話題になることは成功です。ただし、データ解析が進み、マーケティングの世界が整地されすぎてしまったせいか、売り上げに反映されるかどうかを気にしすぎて、新しいものを生み出せなくなっている。誰もが予想できる範囲での表現では、人の心を動かすような驚きのある作品を作り出すのは難しいのではないでしょうか。それこそ『SPACE BALLOON PROJECT』のように、誰もやらなかったことに挑戦する姿勢がエンターテインメント作品には大切なのでしょうね。

    様々なアワードがある中で、文化庁メディア芸術祭をどのようなものと捉えていますか?
    一言で言えばごった煮です(笑)。アニメーション、マンガ、広告、現代美術、映像、この規模でそれらの作り手が一堂に会する場所はほかには絶対にないでしょう。様々なジャンルのクリエイターが集まることで、会期中には特別な熱気や祝祭感が生まれます。作り手だけでなく、そういった業界を志す若い人たちも同じ空間にいる。僕はそれが今後のシーンのために非常に重要なことだと考えています。分野に特化したアワードにありがちな、権威的なサロンのような雰囲気がない。自由な場で様々な作品や作り手同士が混ざり合い、インスパイアし合うことで、特別な刺激を得られると思います。エンターテインメントを作る人はデザインやテクノロジーを学び、アートを作る人はエンターテインメントを学ぶことができる。そういった貴重な機会と可能性がメディア芸術祭にはあると思っています。