22回 受賞作品マンガ部門Manga Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 表 智之
    北九州市漫画ミュージアム専門研究員
    産業構造は変われど、マンガは「腕力」
    雑誌連載を主軸とする日本のマンガは、物語の途中からでも読者を引っ張りこむ「腕力」を強く問われる。大賞の『ORIGIN』はその点、まさに剛腕であった。描き込みは緻密だが読みやすく整理された画面。静と動を使い分ける緩急自在の構成力。激しいアクションの最中でも混乱しない安定した視点と構図。ハードなSFドラマに織り交ぜられた脱力系ギャグ等々......。連載中作品のエントリーのため、まず途中の巻から読み始めたが、問答無用で引きずり込まれた。あらためて冒頭から読んでさらに魅了されたことはいうまでもない。雑誌媒体の衰退とともにマンガ作品の発表方法は多様化し、今回取り上げた作品にもネット連載や描き下ろし単行本が並ぶ。産業構造が変化してもなおマンガの腕力は健在で、作風こそさまざまだが、するりと心地よく入り込める傑作ぞろい。そこに「順位」をつけるのはなかなかに困難だったが、多様性とバランスには留意したつもりだ。マンガ業界において主流ではないが重要なジャンル。逆に、実際には主流なのだが本賞には応募の少ないジャンル。光の当たりづいそんな部分への評価を明示することも、文化庁が主催するこの賞ならではの役割だと考えている。さて、審査委員会推薦作品からは『どこか遠くの話をしよう』を強く推しておきたい。須藤真澄は一貫して、一種の超常現象を素朴な日常空間に投げ入れて撹拌し、人と人の心のやり取りを浮き彫りにすることに心を砕いてきた。途中に空隙を入れた主線や、細密ななかに線を巧みに省略した風景描写など、濃密な実在感とふんわりとした柔らかさを両立させる技巧はほかの作家にないものだ。どちらかといえば読み切りや連作の短編を得意とするが、本作は久々の長編。前半の物語を後半のより大きな物語が包含する入れ子式の構成も素晴らしく、須藤の魅力を詰め込んだ集大成的な作品といえる。ぜひ一読を勧めたい。
  • 川原 和子
    マンガエッセイスト
    マンガも、マンガを語り合うこともおもしろい。
    今回初めて審査に参加させていただいた。応募総数(そう、この賞は応募制なのである)878作から、専門の知識を持つ精鋭の選考委員によって234作に絞り込まれ、ここからさらに受賞作を選ぶ、という大役に背筋が伸びる思いで挑んだ。審査委員の二度にわたる合議も、鋭いご意見に「なるほど!」と思ったり、自分の評価する作品のよさをどう伝えようかと必死に思案したりと非常に濃密な時間だった。マンガも、マンガについて語り合うこともおもしろい。改めてそう実感させてもらえた審査であった。そんな過程を経て選ばれた作品たちは、現代のマンガの多様性が伝わるものになったのでは、と思う。一貫して突出した評価を獲得した『ORIGIN』、人生の哀感を情感豊かに描く『夕暮れへ』、かわいい絵柄でアラサー女子の「今」を鋭く活写する『凪のお暇』。シリアスな作画でばかばかしいギャグを展開する『宇宙戦艦ティラミス』には、真剣な議論でつい寄ってしまった眉間の皺をのばしてもらった。『見えない違い―私はアスペルガー』もポップでおしゃれな絵柄と心理にシンクロした色使いが素晴らしく、『黄色い円盤』の熱量の高さには圧倒された。江戸文化の豊富な知識を自身の絵柄に昇華しエンタメに結実させた『百と卍』は、ボーイズラブ(BL)分野の作品である。言うまでもなく、長い間(主に)女性たちが大切に育んできたBLというジャンルには豊かな蓄積があり、そのもとに咲いた大輪の花のような作品に贈賞できると思うと感慨深い。また、BLマンガを介して75歳の女性と女子高校生が友情を深める『メタモルフォーゼの縁側』も、繊細な葛藤や、共感し語り合える喜びの描写に心震えた。入賞は逃したが、読みにくいのではと身構えたのにするっと引き込まれた『マッドジャーマンズ―ドイツ移民物語』、世の中のすみっこにいる人たちがロケット打ち上げに奮闘する『我らコンタクティ』も最後まで入賞線上にいたことも記しておきたい。
  • 白井 弓子
    マンガ家
    審査委員2年目を終えて
    審査委員も2年目となったがやはり慣れない。怒涛のような審査のあとは、読み取れなかったこと、言い残したことがあるのでは、としばらく心の嵐が収まることはない。画力、ストーリー、キャラクター、テーマにすぐれた、楽しく笑える、ドラマのある、謎めいている、ウェルメイド、フィクション、ノンフィクション、長い連載作、きらりと光る短編集、同人誌、あらゆるジャンルのマンガが飛び交い、つかみそこねたが最後一瞬で遠ざかっていく。辛い。それでも最終的にはそれぞれに個性的で、それぞれのフィールドで飛び抜けた何かを持つものが残ったように思う。2年目の感想としては、1年目の審査で「このマンガは終わり方が大事だろう」と見送られた作品が素晴らしい完結を迎えても次の年には応募がないのが残念だった。公募の賞は一期一会だと実感する。私も長く応募し続けているし何度も失望するのはいやなものだが、審査委員としては機会を戴ければと思わずにはいられない。最後に推薦作品のなかで印象に残った作品をあげておく。今回、私が最も心揺さぶられた作品のひとつはビルギット・ヴァイエ作『マッドジャーマンズ−ドイツ移民物語』だった。1980年代にアフリカのモザンビークから東ドイツにやって来た労働者たちの実体験をもとに描かれている。エリート教育だと言われて来てみたらきつい単純労働、中間搾取......今でも決して他人事とも昔話ともいえない。3人のモザンビーク人が翻弄され傷つけられながらもそれぞれ生きていこうとするその生き方が、時にユーモラスに時に激しい慟哭のタッチで描かれる。このすぐれたグラフィックノベルを多くの人に読んでもらいたい。森田るい作『我らコンタクティ』は絵にもストーリーにも勢いのある町工場SF。構図も巧みで引き込まれる。最も次回作が楽しみな作家の一人だ。
  • 西 炯子
    マンガ家
    マンガの明日を指すもの
    何をおいても思いますのが、紙媒体掲載ではない作品がもうこんなに多いのだなということです。大きな出版社も、今はネットで作家を探すことが事業の大きな柱になってきている、とは聞いていたのですが、「自社への投稿者を育てて、収益の上げられる描き手にする」という、気長で優雅な時代は終わりつつあるのだということを実感しました。これは、描き手にとっては有利であろうと思うと同時に、出版側にとっても、育てる手間を省いていきなり収益の見込める作品を手にできるという、両得なことなのだなと思いました。畢竟これからは「会社のカラー」というものがなくなっていくのかもしれません。そして、その味気なさと引き換えに出版社は延命していくのかなと思います。作品の内容については、これは安堵したことなのですが、どのように時代が移ろおうと、マンガを描く人と、それを読む人が大事にしているものに変わりはないなということを確認しました。それはほかのどの国、民族でもなく、日本人の心性に最もフィットするものだ、ということも再認識した次第です。講評を書かせていただいた作品『メタモルフォーゼの縁側』は、まさにそういうものだと思います。「マンガ」を「グローバル」に、という考えがあろうかと思うのですが、その国、そこに暮らす人々の楽しみであることがマンガの第一義ではないかと私は思います。この作品はその思いを裏打ちするものでした。
マンガの「明日」は多分、読者と描き手の「外」でなく「内」にあるのだと思いました。
  • みなもと 太郎
    漫画家/マンガ研究家
    どこまで広がっても原点をわすれない
    毎年同じことを書いても気がひけるので一言で済ませるが、マンガの国際化、多様化、デジタル化はますます広がっており、その勢いは留まることを知らないように思える。以上(笑)。さて私が最近2人の人から窺った話がある。一人は松竹歌舞伎の常務取締役Y氏。本年6月、拙作のマンガが歌舞伎化されることになった関係でお会いしたのだが、なんとその6月には京都の南座でも人気マンガ『NARUTO-ナルト-』の歌舞伎版が上演されるという。「すると歌舞伎座、南座の両方でマンガ原作が舞台に?そんなことって......」と訝る私にY氏は「いやいや、もう不思議でも珍しくもありません。歌舞伎も映画も、テレビドラマも演劇も文学も、あらゆる表現芸術は今やマンガが供給源になっています。『マンガがなければ困る』時代になっているのです」とおっしゃったので私は「うーん」と唸った。なにしろ振り返ってみれば、私がマンガ家を志したほんの半世紀ちょっと前には、マンガはそれらすべての表現芸術の最底辺にあり、そっぽを向かれるか小馬鹿にされるかのどちらかであった。そんな時代を私は実感で知っているのだ。こんな短期間にそこまで発展伸張したジャンルはあるだろうかと、私は空恐ろしさすら感じる。もうひとつは、あるマンガ家N氏のトークイベントでの話だが、N氏は某少年週刊誌で一時期活躍したものの、あまりのネームチェック、人気競争の商業主義に疑問を持ち「我々が本来持っていた、マンガを描く楽しみ、喜びは何なのか。マンガは大出版社の金儲けのために存在しているのではないはずだ」と決意。以後商業誌に描くのをやめ、同人誌作家として作品を描き続けているという。氏の姿勢には私も大いに頷けるものがあり、会場で心からの拍手を送った。たしかに、マンGあがどれほど発展変貌し続けていこうとも、その一作一作にはN氏のような純朴な創作意欲が原点となっているはずであり、それらの集大成、結果として目をみはるような「マンガ世界の花園」が出現しているのだと思いたい。当「文化庁メディア芸術祭マンガ部門」は商業誌作品だけでなく、個人誌、同人誌作家からの応募も受け入れている点が非常に好ましく、今回の優秀賞のひとつ齋藤なずな『夕暮れへ』、新人賞を受賞したひとりである黄島点心による『黄色い円盤』などはメジャー志向とは正反対の良心作と怪作であった。順序が狂ったが大賞のBoichi『ORIGIN』は近未来ロボットSFの王道的作品で画力も高く、審査委員ほぼ全員の支持を受けすんなり大賞に決まった。私個人の感想としては「新時代の鉄腕アトム」と捉えている。優秀賞『宇宙戦艦ティラミス』も画力の高いSFだが、内容は「アホ丸出し脱力ギャグ」で、にもかかわらず高得点を集め、推薦した審査委員がかえって驚くという、ギャグにふさわしい珍現象が起きた。『百と卍』はある意味最も問題作で、詳しくは私が「贈賞理由」を述べているので略すが「こういう作品こそを認知、評価すべき時代が来た」ということである。コナリミサト『凪のお暇』は対人関係で「空気を読みすぎてしまう」若い主人公、凪の孤独感と辛さに、等身大で深く寄り添った秀逸作品。凪の成長を見守りたい。また、新人賞の鶴谷香央理『メタモルフォーゼの縁側』。今や大きな問題となっている「世代間の断絶」を防いでいるひとつに「世代を越え、親子で読み継がれ愛されているマンガ」があるのは紛れもない事実で、ここにもマンガの素晴らしさを感じる。マドモワゼル・カロリーヌによる『見えない違い̶私はアスペルガー』は、第三者に理解し辛い、されにくい非常に微妙な「アスペルガー症候群」を身近に感じさせてくれてありがたく思う。推薦作品では、塩川桐子『ワカダンナ』、恵三朗『フラジャイル病理医岸京一郎の所見』、panpanya『二匹目の金魚』、北駒生『火色の文楽』、石川ローズ『あをによし、それもよし』などが心に残る作品だった。