19回 受賞作品マンガ部門Manga Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 古永 真一
    文学者/首都大学東京准教授
    受賞で一番かんじんなのは……
    948の作品が約50に絞られたとき、残ったのは甲乙つけがたい傑作群だった。それでも検討を加えて、かくかくしかじかの次第で同名の力作が大賞の栄誉に輝いた。
    今回あらためて思ったのは、受賞するにはタイミングが重要なこと、受賞しづらいタイプの作品があるということだ。例えば、LGBTが注目されている今、『弟の夫』は比較的スムーズに優秀賞に決まった。作品自体が優れていることは言うまでもないが、状況が有利に作用した好例であろう。全体の印象としては、続きを見定めてから傑作なのか大傑作なのかを吟味したい作品がいくつかあり、来年度もハイレベルな争いが予想される。
    仮に娯楽に徹した「エンタメ」と社会的現実に切り込む「リアル」に大別するなら、後者で印象に残ったのは、新人ケースワーカーの奮闘を描いた『健康で文化的な最低限度の生活』である。生活保護の不正受給という社会問題を鋭く描きだし、「お仕事マンガ」の堅調ぶりを感じさせた。また、突如として夫が失踪して途方に暮れる外国人女性を描いた『ハウアーユー?』も、平成版「こわれゆく女」を描いて秀逸だった。『女子高生に殺されたい』は、タナトス全開の倒錯した性的妄想を描くことによって「エンタメ」色を打ちだしながらも、新聞の片隅で報じられる「痴漢男」や「援交男」の記事が示すような、今の社会の無気味な「リアル」を感じさせた。
    最後に、「同人誌などの自主制作マンガ」が豊作だったことも付言しておきたい。マンガ界の裾野の広さを感じさせる良作がいくつもあった。選外にはなったが、ナンセンスマンガの健在ぶりを示すとともに、一コママンガのおもしろさを再認識させてくれる作品もあった。今回エントリーはなかったが、動画を使った四コママンガなどウェブを活用したマンガも、これからもっと傑作が増えれば、ブレイクスルーが期待できそうだ。
  • 松田 洋子
    マンガ家
    愛のマンガとマンガへの愛
    マンガを描くキャリアは細々と20年しかないが、マンガを読むほうなら半世紀近く経験があるし、何より私はマンガを愛しているので大丈夫と思い、審査委員のオファーをお受けした。
    しかし安易に愛を言い訳に使ってはいけなかった。愛は戦いだと読んできたマンガで学んでいたはずなのに。愛すべき理由を語る難しさと、いくら愛していても理由を突きつけられたなら別れなければならない非情な現実。愛と荷の重さに膝から崩れ落ちそうになる。
    足腰は弱いが、かつぐ神輿を決めなくてはいけないのでなんとか踏ん張り、上位にあがってきた作品を眺めると、多くが愛に関するマンガであった。どちらも並じゃない個性を持つ師弟の『かくかくしかじか』と、同性愛と家族のあり方を描く『弟の夫』は、どうしてもこれを描かねばならない理由と決意が、もう愛としか言えない。愛されるために生まれた美しさと才能を持った少女たちの『淡島百景』と、心を持たないからこそ純粋な『機械仕掛けの愛』の「機械と人間の関係」の切なさと残酷さ。『町田くんの世界』の愛し方、愛され方の愛らしさは胸が苦しくなるほど。『たましいいっぱい』の不思議でふざけた、生きてないけどいきいきしたやつらも愛さずにはいられない。
    メディア芸術祭の受賞の発表の日、受賞者だけでなく出版社も書店も読者も嬉しそうで、SNSで飛び交う「おめでとう!」に胸が熱くなる。審査委員でつくった神輿をみんなで楽しそうにかついでくれて、肩が一気に軽くなる。マンガの周りは愛に満ちているじゃないかとうれしくなると同時に、私のマンガへの愛もまだまだだと思い知らされる。課題は多い。描くのも読むのも審査する能力も自分のマンガの売り上げも来年はなんとか向上させたいものだ。
  • すがや みつる
    マンガ家/京都精華大学教授
    デジタルマンガの新しい問題点
    本年度のマンガ部門への応募作総数は948作と過去最高になった。これだけの応募数があるということは、母数となる出版点数の多さも意味しているが、単純に喜ぶのは早計である。現在、マンガ単行本の1点あたりの売れ行きは減少傾向にあり、出版社は売り上げを確保するために出版点数を増やす傾向にあるからだ。ただし、出版全体の売り上げが落ち込みを続けるなか、マンガの売り上げは前年比で微増傾向にあるという。電子書籍として販売されるデジタル作品の売り上げが伸びているからである。その状況を象徴するように、応募された単行本・雑誌連載作品(アナログ作品)の大多数が、デジタル作品としても販売されていた。また、昨年度はスマホ向けの縦スクロールマンガが数多く応募されてきたが、本年度のデジタル作品は、アナログ作品と同じ1ページ、もしくは見開き2ページ単位で見る(読む)マンガが大半であった。この傾向は、間違いなく液晶ディスプレイの高解像度化がもたらしたものだ。デジタル作品もアナログ作品と変わらないページ構成で描いておけば、ウェブ作品をマネタイズするため単行本化する際も、コストがかからずにすむ。このような風潮のためか、デジタル作品には、デジタルならではの新奇性や驚きに充ちた作品が減っている印象がある。応募作のなかにも、同じソフト、同じ機材を使ったとおぼしき絵柄と描線の作品が多く見受けられたが、この傾向は、マンガに不可欠の個性の喪失にもつながっているのではないか。マンガの点数増加に、合理化を主眼としたデジタル作画技術の進化が関係しているのだとしたら、やはり素直には喜べない。その点、本年度の受賞作品は、いずれも個性溢れる作品ばかりであった。大量の作品を読んでいるとき、自然に目を惹かれ、心惹かれるのは、やはりほかとは異なる独自性を持った作品になってしまうのは、いたしかたのないことであろう。大賞受賞の『かくかくしかじか』(東村アキコ)は、まさに、この作者にしかつくりえなかった作品である。心理学では行動主義と呼ばれる反復繰り返しの教育は、軍隊の新兵教育(ブートキャンプ)にも相通ずる内容で、美術系の大学で教鞭を執る立場としても興味を惹きつけられた。だが、最後には、そんな自分の立場などすっかり忘れ、ただ涙した。優秀賞4作のうち『淡島百景』(志村貴子)は、まず絵に惹かれた。構成も巧みで、この先どうなるのか楽しみが尽きない作品である。『弟の夫』(田亀源五郎)は、一般マンガ誌に舞台を移したせいでもあろうが、従来の作品を知る身としては、温かさと優しさに包まれた作風への変貌に少し驚かされた。『機械仕掛けの愛』(業田良家)も、すでに高い評価を受けている作品だが、とうに描き尽くされたのではないかと思われるロボットを題材に、大長編偏重の傾向が強いマンガ界において上質の短編を描き続ける作者の姿勢には、ただただ敬服するばかりである。
    『Non-working City』は、当初、マーカーの荒いタッチが気になったが、とりわけ建造物の造形が見事で(マカオの建築家とのこと)、最後には、その絵で訴えようとする気迫に圧倒されていた。
    新人賞の3作品中、もっとも心惹かれたのは『町田くんの世界』(安藤ゆき)である。主人公である町田くんの飄々としたキャラクターは、映画『フォレスト・ガンプ』を彷彿させて憎めない。心理学マンガともいえそうな新しいタイプの作品で、今後の展開に期待大である。『エソラゴト』(ネルノダイスキ)は「『ガロ』みたい」という声が多かった。同人誌には二次創作ばかりでなく、本作品のように個性豊かな作品も多いのだが、応募されてこないのが寂しい。同人作家の奮起を望む。『たましいいっぱい』(おくやまゆか)は、一見、ブログマンガや同人マンガのようでいて、読み込んでいくと不思議な味がある。「三年目」がよかった。落語好きなもんで。
  • KADOKURA Shima
    マンガライター
    マンガは「体」がつくっている
    マンガは、「頭」だけではけっしてつくれない。頭のなかでどれだけの傑作が完成していようとも、「体」を使って(長時間座り続け、手を動かし続けて)「描く」ことでしか、この世に生みだすことはできない(もちろんデジタル作画でも同じことだ)。このシンプルな真実を、マンガというメディアが成熟してきた今、あらためて世界中のクリエイターに発信したい─『かくかくしかじか』大賞贈賞には、個人的にそんな思いも込めた。今年度のマンガ部門への応募作948作品すべてがそうやって「描く」ことで生みだされたものであり、まずはそのことに敬意を表したい。なかでも優秀賞『Non-working City』は、まさに「描く」という行為に執拗なまでに励んだ結果生みだされた力作であろう。
    本年度から委員となり、初めて選考会に臨んだが、そこで委員同士が交わした熱い議論は「楽しい」ものであった。マンガを読むのが楽しいのはもちろん、マンガについて真剣に語ることは(むしろ真剣なほど)楽しいのだ。どんな内容であれ「おもしろさ」を追求する使命を帯びたメディアであるマンガの特性をあらためて感じた。
    気になったのは、「単行本で発行されたマンガ/雑誌等に掲載されたマンガ」「コンピュータや携帯情報端末等で閲覧可能なマンガ」「同人誌等を含む自主制作のマンガ」と発表媒体ごとにカテゴリを設けているにもかかわらず、作者が発表媒体にあまりにも無自覚であったこと。紙なら紙、ウェブならウェブで読ませるための表現を追求し、かつ「マンガ」という大きな枠組みのなかでも強度を失わない作品を生みだすことに意識的な作家の出現を強く望む。そして本賞こそがそうした作家の発掘に格好の場であるとも思う。
    また今年度で19回と、回を重ねてきたことで「文化庁メディア芸術祭らしさ」のようなものが審査側にも応募者側にも浸透しつつあるように感じる。賞の色が出るのは悪いことではないが、次年度以降、らしさなどものともしない、圧倒的におもしろい作品との出会いにも期待したい。
  • 犬木 加奈子
    マンガ家/大阪芸術大学客員教授
    本年度の特徴と未来への展望
    毎年回を重ねる度、応募作品数が増えているのはたいへん喜ばしいことだ。今年も1,000近くもの応募作品が集まり読むのが楽しみでもあったが、ひとつの作品でも複数巻にわたるものが多く、その膨大な作品数を審査するには時間的制約も多く、評価に差が出ないか不安もあった。そこは他委員の感想などを参考にし、意見交換を充分に行なった結果、補うことができたと思う。
    ただ、しょせん人の決めることだ。好みも大きく別れる。その時の状況判断等で泣く泣く落としていったものも数多いが、なんともおもしろいほど、その年の特徴が出るものだと思った。まず、ウェブマンガと同人誌マンガの数は激減した。昨年は同一作者で何作もの応募が目立ったので、それがまず減ったせいかもしれない。同人誌は数こそ減ったものの、作品水準は非常に高く審査委員の胸を躍らせてくれた。プロになれない者がつくる同人誌、ではなく商業誌では扱われにくい芸術的、文学的作品が集まってこその同人誌というものが今年は数多く来た!自由奔放な想像力と技術力に圧倒されながら、愛でるように眺めては読ませていただいた。反面、ウェブマンガでの作品傾向には今後の問題が山積みである。ウェブという新しいメディアに未来への期待を大きく寄せているが、紙マンガとウェブマンガを最終的に一緒にして審査しなければならないという問題は大きい。多くのプロの作品は単行本発行の後、電子配信というかたちをとっているため紙と電子の区分の意味があまりなく、ウェブではプロと素人との区分もよくわからないためか、総じてレベルが低めに感じられてしまう。そのかわり紙では絶対にできない作品もある。ただ審査委員によっては紙マンガでの作品レベルを求めるあまり、実験、研究段階での試作品として未来への展望を考慮する余地が少ないのが現状だ。私は審査委員であるが、マンガ家の心はなくしていない。ストーリーや技術的レベルが云々よりおもしろいものには単純に飛びつくし、未来に心をよせていきたい。紙ではできないマンガにより期待する。