19回 受賞作品エンターテインメント部門Entertainment Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 東泉 一郎
    デザイナー/クリエイティブディレクター
    転調の前の休符のようなスペースに浮き上がってきたもの
    僕らの生きるこの世界の状況とテクノロジー、そして、人間のクリエイティビティやイマジネーション、これらは、時代とともに、抜きつ抜かれつを繰り返してきた。新しい技術や道具を手にすることによる状況の打開と新たな表現の可能性。新たな状況によって生まれる、新たな気分、新たなコモンセンス、新たなテーマ。それらが浸透し成熟したときに出現するカウンター表現。そして、それらもやがてスタイル化し陳腐化する。その沈滞状況へ出現する、また新たな社会的・技術的展開......。
    そのようなサイクルのなかで、今年の作品群を見ながら、何か潮目が変化する転換期に入っているのではないかという感覚を抱いた。
    これまで新しいとされてきた手法は、それにより前へ進むことよりも、いつしかコマーシャルな再生産が目立つようになった。リスクを背負いつつ新しい何かを求めてもがく、というよりは、トレンドを意識した傾向と対策的につくられていく感じ。それが、社会的にも(とりわけ国内では)クリエイティブの社会性とつくり手の姿勢・モラル・責任が問われた今年という年と、重ね合わされる。職業的クリエイターのあり方と、新たにリアルで切実なテーマを見つけつつある若い世代、それらが、対比的でありながら、同居している。
    そんななかで、受賞作品はどれも発見に充ち、つくり手が投入した尋常でないエネルギーを感じるもので、嬉しい出会いだった。
    さらに、布の裏側から滲みでてくる染料のように浮き上がって見えてきたのが、個人の確固たるブレない意思による、継続的な創作活動だった。大賞の『正しい数の数え方』は、時代時代の要素をピースとして多彩に取り入れながらも、表現やものづくりというものが、結局は「個人の覚悟」のようなものに拠る、ということと、それが普遍性を持ちうる、ということを再発見させてくれた。
  • 米光 一成
    ゲームデザイナー
    世界のすべてがエンターテインメントであれ
    メディア芸術、さらにエンターテインメント部門という混沌かつ野放図なカテゴライズから、作品たちははみ出している。という思いは前回よりも強く、比べようもないものを比べて、大賞や優秀賞といった区分に苦しみながらはめこむ困惑はさらに増した。まずはそれを喜ぼう。既存の秩序の内側にあったり、明快に社会の役に立ったり、効率の良し悪しといったことから、エンターテインメントは遠く離れていてよいからだ。そうじゃない人や事象すらも、救って楽しませるものであってほしいと願うからだ。楽しませるということ以外、何の役に立たないものであっていいと思うからだ。『Dark Echo』の抽象的な組み合わせで、驚懼と虚構をつくりだし想像力の深淵を覗きこませる力、『Drawing Operations Unit: Generation 1』の人間と共生することを目論む弱さを強みにしたロボットが指し示す未来、『Solar Pink Pong』の太陽光を使ってストリートに規則を生みだすことで自然発生する戯れと愉快さ、『Prune』の抽象的な展開が折り重なっていくことで瞑想の深みに導く没入感の凄み、『Thumper』のグルーヴに同期させんとする意志力、『ほったまるびより』の生々しい肉体とそれを届けるまでのストーリー、『Black Death』のインターフェイスのシャープさ、『ズームイン顔』は、それだけで笑顔を生みだすのがすげぇな、『本のアプリStand』の人を束ねるためのシンプルなすごさ、『group_inou「EYE」』の貪欲なアイディアと実現力、『あつまれ!わくわくパーク』の「寿司くん」好きです、『2.5次元マスク』どんどん展開してほしい、『絶対絶望少女 ダンガンロンパ Another Episode』のつくり込み、『Plug & Play』の気持よいアニメーションに関われる喜び、ほかにもいろいろ。そして、それらすべてを巻き込む力を持ちえる魅せる力と象徴性を発揮する『正しい数の数え方』。エンターテインメントが世界のすみずみまで浸透し、あらゆるところに立ち現われる未来を想像して楽しみが膨れ上がる。
  • 工藤 健志
    青森県立美術館学芸員
    来るべき未来の予感を孕むもの
    最先端のテクノロジーや技術的なトレンドにさほど詳しいわけでもない美術館の学芸員は、どのようにエンターテインメント部門の審査へ関わるべきか。個人的には情報化社会のメインフォーマットがスマホ+インターネット+SNSとなった現在、思考パターンや行動様式にある種の均質化が進み、コミュニケーションツールとしてもさまざまな問題を引き起こすなど、人間とニューメディアの「接続」にはまだバランスの悪いところが多くあると感じる。本部門は、多種のメディアプラットフォームを用いた作品が集まり、さらには「エンターテインメント」という概念の曖昧さもあって、メディア芸術の「総合百貨店」的な様相を呈していることから、僕にできることは、メディアと人間を取り巻く今の状況を多角的に問い直すことが可能な作品の「発見」しかない、と考えた。ゆえに作品のテーマやコンセプトはひとまず脇に置き、「バジェットの大小」や「テクノロジーの優劣」によるクオリティの差も度外視して、デジタルメディアそのものをメタ的に扱ったもの、メディアと人間の均整のとれた関係を映し出す作品の抽出を試みた。審査を終えてみると、今を生きる人々の無数の意識に寄り添い、その要請を敏感に反映する作品は予想以上に多く、その2015年的課題は、表現のジャンルを超えて、いくつかの共通する「キーワード」となって浮かび上がってきたが、時代の大きな転換期にあって、人間存在もメディアという環境も大きな「変容」のただなかにあることが見えてくる。「エンターテインメント」は「消費」という側面から逃れられない宿命を持つがゆえ、必然的にそこには「今」が内包される。その「今」に、来るべき未来の予感を孕むものが結果として賞、推薦作に残ったと思う。本能に作用する快楽もまた本部門受賞作ならではの魅力ではあるが、その多彩な表現のなかから、「私」と「他者/メディア」のこれからを考えるきっかけを、ぜひつかみ取っていただきたい。
  • 飯田 和敏
    ゲーム作家/立命館大学映像学部教授
    むき出しになった表現、エンターテインメントの変節
    「オモテに出ろっ!」と私たちを路上に誘ったのは、昨年の大賞作品『Ingress』だった。戦後70年という重大な節目を迎えた2015年。人々の表現は「オモテに現われ」ていた。それは作品の形態をとらない直接行動、むきだしの「表現」である。夏から秋にかけ国会議事堂前に集まった多くの群衆。そのエネルギーを無視することはできない。
    「情報共有」「オープンプロジェクト」「ビッグデータ」、こうしたトピックがここ数年のエンターテインメント部門の主なテーマだった。結果的にテクノロジーと人々の共生ビジョンを肯定的に描く作品を評価してきたのだが、こうしたむきだしの表現の存在を側に感じながらの選考は、エンターテインメントの本質的な価値や可能性を幾度となく問い直す、精神的にキツい作業だった。おそらくそれはエンターテインメント部門だけではなく、すべての部門の審査プロセスで起こっていたのだと、受賞作品一覧を見ながら思う。文化庁メディア芸術祭の審査は部門ごとに独立していて、最終的な発表まで受賞作は伏せられている。そのため部門を超えた干渉は不可能だが、それぞれの審査委員が心の内に設定したであろういくつかの問題設定において、作品を通して呼応や接続がされている。今回のメディア芸術祭は、2015年という特別な年に起きたある変節を、タテヨコナナメから読み解くことができるカタログになっているのではないだろうか。
    エンターテインメント部門大賞『正しい数の数え方』の岸野雄一は、うるさいやめろと言われても、けしてオカネにならなくても、天気が雨でも晴れでも、いつも路上に近い場所で「オッペケペー、オッペケペー」と陽気に歌い続けていくだろう。岸野は数十年間にわたりそうした活動を実践してきた。満を持してのオモテへの出現である。「正しい」に到達するためには、この愚直さが必要なのだと思う。まっすぐな情熱は、周囲の人々を自然に巻き込んでいく。観客はいつのまにか一緒に数を数えるだろう。同調を強いるのではなく共感の力で。それは正しい。大賞発表の記者会見の壇上、岸野が謝辞を述べた後、私も「ありがとうございま......す」と言っていた。ここは受賞者を祝い、次の場面へ展開する段取りだった。不肖のハプニングではあったが、この作品と作者がもっている力をあらためて感じ入る場面だった。『Solar Pink Pong』のステージもオモテだ。設置された装置が空間を認識し、ピンクの円を投射する。それに気づいた人々はボールに見立て蹴りだしたり、自らの影に取り込んでみたりといった、ささやかな戯れをはじめる。ゲームにすらならない小さな戯れと企て。まったく気づかず通り過ぎる人がいる。この交錯も正しい。ロボットアームの作品群でもっとも刺激的だったのが『Drawing Operations Unit: Generation 1』だ。自動書記によって生じるトランスは画家にとってもっとも神聖かつ幸福な時間だが、その再現を意識した瞬間から遠ざかってしまう。このロボットアームがどのように世代を重ねていくのかを見届けたい。また、年々クリエイションの温度が高まっているインディゲーム・シーンから『Thumper』『Dark Echo』が優秀賞として選定された。インディゲームに厳密な定義はないが、複数人による小規模開発が特徴である。また、インディゲームのクリエイターたちは世界中で開催されている展示会に出展し、その地で出会った人々と交流しながら作品を磨き上げていく。『Thumper』のメンバーとは、この1年で2回ほど京都と幕張で遭遇した。ゲームの選考に関しては、完成していて遊べる状態のものを優先的に評価することを個人的なルールとしてきた。『Tumper』は審査の時点で1ステージしか完成していなかったのだが、2016年にリリースするというメンバーの意思表明を信じ、信条を修正した。個人的な葛藤ではあるが、けっして簡単なことではなかった。新人賞となった『Black Death』を筆頭に『あなたは原発の寿命を知っていますか?』『東京大空襲証言映像マップ』『OUT IN JAPAN』『PRY』のようなシリアスなコンテンツがエンターテインメント部門に違和感なく連なっている。これが、むきだしの表現が路上で展開されていたことにより生じた変節だ。
  • 宇川 直宏
    現在美術家/京都造形芸術大学教授/DOMMUNE主宰
    全身勉強家の毛穴から染み出した体液
    今年で3年連続審査委員という大役を仰せつかったわけであるが、エンターテインメント部門だからこそ触れることができる、テクノロジートレンドの変遷を目の当たりにした有意義な体験であった。現在、シンギュラリティ(技術的特異点)における2045年問題が話題になっているが、人工知能がクリエイティビティを発揮している今だからこそ、なおさら、人間が描くべき美とはなにか?を考える絶好のチャンスだと感じている。そして今年の大賞は岸野雄一の『正しい数の数え方』である。岸野は「京浜兄弟社」や「マニュアル・オブ・エラーズ」の活動で辺境音楽の再解釈を世に問い、「ギラギラナイト」では非クラブDJの先駆として和モノヴァイナル(レコード)の無頼さを再発見し、「ヒゲの未亡人」では男の根に潜む女性性を即興的なパフォーマンスで解放した全身勉強家である。僕と岸野はここ30年近く、数限りない地下文化貢献活動に取り組んできた戦友といっても過言ではない関係であり、友人を推すという行為は否が応でも慎重にならざるをえないわけであるが、僕は絶対の自信を持って推薦した。この結果を両手を挙げて賞賛したい。僕のメディア芸術に関する批評軸は、「"テクノロジーと人間の潜在能力のギリギリの格闘"がそこに映し出されているかどうか」なのであるが、岸野の『正しい数の数え方』には、その姿が脈打っている。大道芸的如何わしさと、タイニー・ティムやピーウィー・ハーマンの文脈を更新する、オルタナティブ・スタンダップ・コメディが核融合を起こしたかのような世界は、テレビ番組『できるかな』のノッポさんの物言わぬ純朴さと『つくってあそぼ』におけるワクワクさんの捩れたインベンション、『カリキュラマシーン』のニューウェーブな実験性や、グラフィックテクノロジーの実験の場としても機能した『ウゴウゴルーガ』など、エクスペリメンタルな日本の子ども番組を彷彿とさせるのだ。この舞台には、プロジェクションマッピングもVRも介在しないが、全身勉強家の毛穴から染み出した体液が迸(ほとばし)っている。これぞ、メディア芸術だ!