21回 受賞作品アニメーション部門Animation Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 宇田 鋼之介
    アニメーション監督・演出
    アニメーション界に 確かな演出力を
    今年度より審査委員としての参加なので単純に比較はできないのだが、応募作品を一通り審査させていただいたところ、全体的に退廃感が漂っていたなというのが率直な感想だった。孤独や絶望をモチーフにした作品が多かったからだが、希望を残さないままエンディングを迎える作品も散見した。不穏な空気が匂いつつある世相を反映したものなのかはわからない。表現作品というものは時代の空気を映す側面もあるし、流行りもあるからそれはよいとしても、場面設定まで似ているものもあり、作品的バラエティさにおいては不満が残った。もっといろんな切り口があっていいと思う。その点においては『この世界の片隅に』は秀逸だった。観る側の経験則によって作品のとらえ方は違うだろうが、敢えてそうしているように思う。しかしたどり着くメインテーマは同じものになるようにできている。『夜明け告げるルーのうた』と同じ監督ゆえに賞を逃した『夜は短し歩けよ乙女』にも同様のことが言える。間口は広く、だが奥行きは狭くといった器の大きい作品だった。また、近年デジタル技術の円熟により綺麗な絵や迫力のあるカットがつくられるゆえか、絵に頼った演出も多い印象だった。これは応募作品に限った話ではなく最近の話でもない。自戒の念も込めて言うのだが、そういった観点で見ると、アニメーション全体で演出力というものが年々低下してきているのではないかと常々懸念している。それゆえに『舟を編む』『メイドインアビス』『きみの声をとどけたい』などの正統派でしっかりした演出がある作品がある事が嬉しい。『カラフル忍者いろまき』のような子ども向けでもしっかりつくっている作品も目を引いた。キャラの表情を一切見せないでドラマを描いた『COCOLORS』も見事だった。このような作品はもっと多くの方に観てもらいたいと願う。そういう思いで推しました。
  • 西久保 瑞穂
    映像ディレクター
    スタンダードなつくりの良さ
    今年のフィーチャーアニメは昨年に比べやや枠に収まった感があるが、反面まとまりのいい優れた作品も多かった。そして映画『この世界の片隅に』やテレビ『舟を編む』などのスタンダードなつくりの良さを再認識させられた審査でもあった。特に大賞『この世界の片隅に』は正攻法で主人公の人生を淡々と描き、この映画に普遍性を与えている。シンプルな映像づくりも主人公役のんの個性を生かした演技も作品にピタリと当てはまった。また新人賞『舟を編む』も奇をてらわず丁寧なつくりが本屋大賞の原作の良さを引き出しており、清々しさを感じた。対称的なもうひとつの大賞『夜明け告げるルーのうた』は自由でダイナミックなつくりの作品だ。ドラマチックな展開、いきいきしたキャラクターたち、物語を生かす音楽、独特の味の回想シーンなどいろんな要素が詰まったアニメーションならではの映画。今年の私の推しは優秀賞の2作品『ハルモニアfeat. Makoto』と『COCOLORS』だ。ミュージックビデオ『ハルモニアfeat. Makoto』はその自由な発想が音楽と見事に融合しアニメーションならではの素晴らしさが発揮されている。一カ所にとどまらない湧き上がるイメージがその美しい色使いとともに生命感あふれる作品となっていて、観る者のイマジネーションを広げ、そして心地良くしてくれる。 中編『COCOLORS』は現代的テーマとともにCGの特性を生かした表現が素晴らしい。表情の見えないキャラクターで閉塞感とそこからの解放を描き、色の無い世界を絵に託した演出、人間の動きのリアリティ、輪郭線で統一した絵づくりなど、今後のCG作品に期待を持たせてくれる作品だ。それだけに台詞回しに映像やテーマに見合う工夫がなかったのが惜しい。ほかにも毛糸を使った映像と音の組み合わせが見事な『From the same thread』、複雑な親子関係を線画と影で表現した『O Matko!』、野良猫を通して描く独特の造形と世界観のおもしろさが光る『Ugly』のショートフィルムのはみ出し感が嬉しかった。
  • 木船 徳光
    アニメーション作家/IKIF+代表/東京造形大学教授
    アニメーションならではの作品を
    作品の出来はシナリオ、編集、背景、音楽、音響、作画、撮影、声など、さまざまな要素の組み合わせで決まる。それぞれの要素を一辺にした多角形の面積が大きいものが傑作となると思っている。どれかひとつだけ突出しても、多角形の面積はさほど大きくならない。あまり動かないアニメーション作品でもシナリオやその他の要素でそれなりに良い作品に、傑作と呼べる作品になることもある。が、しかしアニメーションとして、アニメーションならではの傑作になるには、動きが重要だと思っている。今回賞をとった作品はどれも、どこか素晴らしい動きの要素があった。そこがとても嬉しいことだった。大賞の2作品も、どちらも受賞するに相応しい作品と思う。『この世界の片隅に』は原作のテイストを非常によくアニメーション化していて、緻密な取材が映像に深みを与え、人物の動きも丁寧に表現されていた。『夜明け告げるルーのうた』は監督ならではの新しい試みと実験があり、動きそのものもデジタルの補助をうまく利用した優れたものになっていた。『ハルモニアfeat.Makoto』はまさに私が観たいアニメーションはこれだ、と思える作品だった。『NegativeSpace』は隙の無い構成で立体アニメーションならではの傑作だった。そして3DCGを中心としたデジタルアニメーションはスキルの進歩によりすぐに陳腐化してしまいがちなのだが、手作業の、筆や絵の具のようにデジタルを使用して制作した『COCOLORS』の映像は10年後も残る作品になっていた。バランスがよかった年と感じた。長編に優れた作品が有り、短編もそれぞれの分野で優れた作品が有り、テレビアニメーションやプロダクションのオリジナルの中編に観るべきものが有り、賞を逃した作品にもおもしろい作品が多数あった。今回は多少慣れてきて、もう少しわがままであってもよかったかと反省もしたが、余裕をもって、楽しく審査できた年であった。
  • 森野 和馬
    映像作家/CGアーティスト
    時代に色褪せない作品
    本年度も膨大な応募作品を目にしたが、改めてアニメーションという領域の多種多様性を実感することとなった。「アナログ表現」「デジタル表現」「アナログ表現とデジタル表現の混合」という現代にあって、どの分野でも幅広い表現方法があるというのは共通する部分であり、昨今審査基準も複雑な要素を含んでいるが、個人的にはさまざまな要素を加味しつつ、プルに芸術性が高く、引きの強い作品、時代を代表し時代に色褪せない可能性を持つ作品を評価するよう心掛けた。今回大賞作品は2本。ひとつめの『この世界の片隅に』は、感動を呼ぶストーリーと非常に丁寧な絵づくり、声優も含めた雰囲気づくり、隙の無い見事な出来栄えだった。2つめの『夜明け告げるルーのうた』は、湯浅監督のポップで現代的な切り口は挑戦的かつ大胆、つくり手としての気概も感じられ、新しい可能性も垣間見ることができた。2作品は高レベルで芸術性が突出しており、表現スタイルのベクトルが違い比較も難しいことから大賞2本選出という結果になった。2本ともに後世に残る特別な作品になるだろう。他の受賞作品では『ハルモニア feat. Makoto』『Negative Space』は印象的で、どらもセンスの良さが際立っており、上質な作品に出会えた喜びと心地良い鑑賞感を与えてくれた。短編は個人で作品をつくれることから、作家の個性や感覚がストレートに 表現されるのが作品の魅力に繋がるわけだが、この2本にはそんな短編ならではの良さが感じられた。全体的な印象として完成度の高い作品が多く含まれたが、新しい表現や新しい物語の作品は少なかった。特にCG作品では、今まで革新的な表現を牽引してきた分野であり、次々と新しい世界を生み出してくれるのではと過大な期待を抱いていたが、表現が成熟したのか停滞したのか判断しかねるが、どこか見たことのある作品が多く新鮮さに欠けた。今後どのように進んでいくのか気になるところだ。
  • 横田 正夫
    医学博士/博士(心理学)/日本大学教授
    アニメーションが 示 す 現 代 日 本 の リ ア リ テ ィ
    今年の審査対象となった長編アニメーションは見ごたえのあるものが揃い、特に『この世界の片隅に』と『夜明け告げるルーのうた』の2本は甲乙付けがたいということで両作品ともに大賞と決まった。『夜明け告げるルーのうた』の湯浅監督は、『夜は短し歩けよ乙女』でも審査委員会推薦作品に選ばれた。同じ監督が同時に長編2篇で大賞と審査委員会推薦作品に選ばれるということも、珍しいことであると言えよう。『この世界の片隅に』と『夜明け告げるルーのうた』は、作品として両極にあるように見えるが、しかしそこには現代の抱える共通した問題を見ることもできる。『この世界の片隅に』の主人公は普段はボーっとしたところがあり、失敗を重ねる。要は現実に対するリアリティが乏しい。『夜明け告げるルーのうた』の青年も、現実対して疎隔感を感じ、現実に対するリアリティが乏しい。そうした現実に対するリアリティの乏しさが、他者と接することで、徐々に活性化され、最終的には元気になり、現実に対するリアリティが回復する。そうしたリアリティを回復するプロセスが、アニメーションの持っている動きによって導き出されてくる。長編アニメーションの審査委員会推薦作品には、他に『劇場版響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』と『きみの声をとどけたい』の2作品が選ばれた。これら2作品に「届けたい」という用語が漢字とひらがな表記の別があるとはいえ、共通していたのは興味深いことであった。届けたい何かがあるということであり、それを作品にしているということである。登場人物の抑制されていた心が、他者との関わりのなかで徐々に解放され、他者との親密な絆が形成される。そこには『この世界の片隅に』と『夜明け告げるルーのうた』におけるリアリティの乏しさとは違った、心が伝わらないもどかしさがある。そして心が伝わらないもどかしさは『夜は短し歩けよ乙女』にも共通していた。ここで挙げた長編アニメーションは、いずれの作品においても女性が中心となり、その個性が際立つ、さらには女性の共感する力が威力を発揮している。女子力がアニメーションのなかの大きな流れになっているように思える。その傾向は短編アニメーションの『ハルモニアfeat.Makoto』にも認められる。とはいうものの『BLAME!』のように戦闘場面のリアルさが、戦闘服に残る傷痕に裏打ちされ、強調される作品もあった。『COCOLORS』においては、地下深くに防護服なしには生きられない環境が描かれ、個性は防護服の材質感によって示されていた。本来顔やその表情が持っていた魅力が、こうした作品では、服の材質感の魅力へと移行しているように見える。言い換えれば、個性を身に着けるもので代用させて描こうとしているかのようである。短編アニメーションの『Negative Space』は、衣服をいかに効率的にバッグに収めるか、という一点に集中している作品であり、身に着けるものへの関心がある。人形アニメーションの『Toutes les poupées ne pleurent pas』は、人形そのものを壊れたら取り換える、といった内容のものであり、人形の個性が、ある時突然はぎ取られてしまう。そこには衣服を着替えるのと同じ発想がある。同じ人形アニメーションの『JUNK HEAD』は、衣服ではなく、顔を取り換えてしまう。こうした作品群では、個が個として成り立つというよりは、衣服や顔のすげ替えや、身体を取り換えるといったように、交換可能なものの集まりとして個があるように描かれている。日本の長編アニメーションでは届けたいものは人の心、と言っているように見えることと、心を持つべき個が交換可能なものから成り立っているという短編アニメーションが描くこととは、日本の抱える心の本質的な特徴の両面なのであろう。『Toutes les poupées ne pleurent pas』は外国作品なので、日本の特徴を語るにふさわしくはないかもしれないが、身体の扱いについては、共通性を見ることができよう。