23回 受賞作品エンターテインメント部門Entertainment Division

大賞

優秀賞

ソーシャル・インパクト賞

新人賞

U-18賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 川田 十夢
    開発者/AR三兄弟 長男
    ハード的な発明よりもソフト的な発見
    テクノロジーをテクノロジーとして楽しむ季節がとうに過ぎたことは、昨年指摘した。元号が変わり令和になってさらに顕著なのは、ソフト側の充実が待たれていることだ。ハードとしての大発見や大発明というより、既存のテクノロジーや社会情勢の組み合わせによっていかに斬新な印象を与えることができるか。美しさを提示できるかが、問われているように感じる。大賞に選ばれた『Shadows as Athletes』は、1964年の東京オリンピックの頃からそこに滞在していたであろう影に焦点を絞った美しい映像だ。記録を競い合う選手たちの動き、実際の肉体を見るよりも時にしなやかに躍動が伝わってくる。ハード的な発明というよりは、ソフト的な発見。光と影、反転した世界からセンス・オブ・ワンダーを導く。文句無しの大賞。優秀賞を受賞した『amazarashi 武道館公演『朗読演奏実験空間"新言語秩序"』』や『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』のグロテスクな表現は、少し前ならエンターテインメントとして許容できていなかったかもしれない。現代的なアプローチだと感じた。AIに関する応募作が複数あったなかで、『大喜利AI& 千原エンジニア』のクオリティと効果は目を見張るものがあった。某歌番組に出演したほうのAIは賛否両論であったが、その境目は死後も新作を出したいかどうか。新しいテクノロジーを使って、後代に伝えたいことがあるかどうか。言葉や演出を委ねられる人物がいるかどうか。当事者(固有の能力に紐づく教師データを提供するもの)の生前の意思確認が重要になってくる。まだルール化されていないデリケートな問題が、メディア芸術には常に付帯していることを表現者は忘れてはいけない。現代において神格化した仏像を、まるで友達と占いにでも遊びに行ったかのような軽やかさで分析する『Buddience仏像の顔貌を科学する』は、軽妙さが見事だった。軽いものを重くするのか、重いものを軽くするのか。ソフトのターンでは、題材と演出を考え尽くす必要がある。この講評を読んでいるあなたにとって、文化庁メディア芸術祭がひとつの登竜門として、あるいは時代のショーケースとして機能し続けることを切に願う。
  • 齋藤 精一
    株式会社ライゾマティクス代表取締役/クリエイティブディレクター
    エンターテインメントの新しい地層
    さまざまな分野で大きな変化が起こる現在、地質学ではアントロポセン/人新世に突入したと言われている。これは人が約46億年続く地球の歴史のなかで、新たな人類の時代が地層として堆積しはじめたと議論されている。人間がいろいろな道具をつくり、考え、それに伴って多様な文明や文化、風習をつくってきた結果である。メディア表現やエンターテインメントも近年新しいフェーズに入ったのかもしれない。20世紀の始まりには次々とイノベーションが起こり、インターネットが当たり前になり、今では5Gが実装されようとしている。デバイスもムーアの法則に従って小さくなり、私たちの生活と環境を大きく変えた。特に表現分野ではデバイスは安くなり、さまざまなノウハウが共有化されることで、多くの人につくり手という選択肢を与えてくれた。テクノロジーの新しさで表現の凄さを見せる時代は終わり、コンテンツの本質、意義が問われそれが美しく実装されているかどうかで評価される時代になった。今の時代では、テクノロジーがすべてではなく、数多く手に入れた道具を私たちがどのように取捨選択することができるか、それを最大限に発揮するための意図や哲学は何なのかが問われている。結果として、デジタルは最新でアナログは古いという評価基準自体も捨てる必要がある時期に来ていると思う。今回エンターテインメント部門で大賞を受賞した映像作品『Shadows as Athletes』はそれを象徴しているかもしれない。視点を変える発見とそれによってもたらされる美しさがアナログでありながら、新しい発見でもある。子どものときにふと影の美しさに気づいた人は多いと思うが、映像として丁寧に仕上げることで、どこか忘れていたヒントを思い出させてくれたような気がした。優秀賞を受賞した『大喜利AI&千原エンジニア』はAIがキーになっているものだが、それを難しくするのではなく、誰しもが使えるエンタメとして表現していた。エンターテインメントは難解なものの入り口になりうるとよく言われるが、細やかなニュアンスなど非常に綿密かつ高度なテクノロジーによって表現が難しい「笑い」のレベルまで到達しているのはまさにこの部門にふさわしい作品だと思える。同じく優秀賞の『amazarashi 武道館公演『朗読演奏実験空間"新言語秩序"』』も参加の手法だけではなく現代の風刺とも言えるストーリーを紡ぐことで、エンターテインメントならではの異空間をつくり出しファンを魅了するコンテンツを実現していた。そのほかにもゲームや映像作品、ウェブコンテンツやサービスなど幅広い分野を横断して作品が選出された本部門は単なる楽しませるエンターテインメントから、もてなすという語源の本来の意味にまで拡張したと感じた。今の社会にも多くの問題が発生している。それを忘れるのも、それを考えさせるのも、それを体験するのもエンターテインメントには求められ、実際に時代に合わせて同梱している。メディアはそれぞれの役割を再定義しはじめ、老若男女リテラシーに関わらずすべての人々に対してコンテンツとして発信され続けている。数多くのコンテンツやアイディアが日々生まれる現在、文化庁メディア芸術祭はそれを顕在化し少し前の過去を振り返ることで、どの分野がどのように発展したのかを標本のように提示し、今社会が何を求めているのかを知るきっかけになる。審査の議論のなかでも広範囲の議論が行われたように、さまざまな人が少しでもよいのでコンテンツがどのようにつくられていて、なぜ今の時代に自分のところに届いたのか等を少しでも考えてもらえるとエンターテインメントコンテンツの多角的なおもしろさがわかるだろう。いよいよ教育でもプログラミングやデザインが取り入れられる今年、もしかしたら今見ているだけのあなたがコンテンツをつくる側になるときが来るかもしれない。ぜひ本芸術祭をきっかけにたくさんのパワーが詰まった創作物を楽しんでもらいたい。
  • 時田 貴司
    日本
    今だからこそ、多様性を享受できる文化と創造の磁場を
    過去に何度か受賞式や受賞作品展にお伺いさせていただきましたが、今回より審査に携わるにあたって、改めて「文化?メディア?芸術とは?」と考えてみました。 私はマンガ、アニメーションとともに育ち、ゲーム制作を始めた世代です。幼少の頃にマンガブームで多くの雑誌が創刊し、次いでさまざまなアニメーションがテレビで放映、劇場でも上映されました。並行してデジタルのゲームもアーケードから、PC、家庭用ゲーム機、携帯機、オンライン、モバイルと、技術の進化とともに、コンテンツも多様化し、今に至ります。改めて振り返れば、小説、演劇、映像など......。すべてのジャンルはゲーム同様、連綿と続く文化を新たな世代が受け継ぎ、時代の技術とともに新しい娯楽、産業として発展させてきたのでしょう。特に歌舞伎と浮世絵はマンガ、アニメーション、JRPGの直系の先祖といえると思います。ネットの普及によって、現在では知識、技術、ツールなど クリエイティブのノウハウや発表の場も、リージョン、文化を超えて共有されている時代。今回の審査でも、世界各国から寄せられた個性あふれる多くの作品を拝見させていただきました。知識や技術が共有されると、重要になるのは、やはり個性です。多様性と個性。グローバルとローカル。カラフルとモノトーン。デジタルとアナログ。相反するこれらが融合し、新たな発想、技術、作品が誕生する。なかでもゲーム、ウェブ・アプリケーションというカテゴリーでは殆どその境界はなくなっています。これからの時代、すべての分野において、ボーダレスは加速しています。あらゆるカテゴリーを越えたところにこそ、新たなエンターテインメントが誕生する磁場があると思います。今回の審査でも、ジャンル、文化を越えた新世代のエンターテインメントの息吹を十二分に感じることができました。多様性を受け入れ進化できる文化。それが日本の魅力であることを改めて信じたいと思います。
  • 中川 大地
    評論家/編集者
    エンターテインメントは2020後のディストピアにいかに抗いうるか
    かつて大友克洋が『AKIRA』で描いた2019年のネオ東京は、巨大な人為的エネルギーの暴走がすべてを一瞬にして灰燼に帰したのち、再び日本が焼け跡の混沌からやり直す可能性を祝祭的に示唆した、終末のユートピアであった。対して私たちが経験した現実の2019年に現出したのは、新海誠『天気の子』のモチーフにも通ずるように、たび重なる自然災害と微細な人為的エラーの集積がずるずると日常を蝕み、前世紀の成功体験への郷愁と拘泥が真綿で首を絞めるように社会環境を劣化させていく、さしずめ反動のディストピアだ。2020年に入ってからは思いもかけないCOVID-19のパンデミックで世界は一変したが、文化をめぐる不穏の基調に変わりはない。改めて2019年時点の脈絡を思い返せば、とりわけ筆者の当事者意識において見過せなかったその赤裸々な兆候こそ、同年夏のあいちトリエンナーレの展示作をめぐる一連の騒動にほかならない。多様な創造と発信をエンパワーメントするはずだったネットメディアの未成熟な普及は、今や気に入らない他者の表現を恫喝するための同調圧力と化した。そんな炎上世論の空気に事後検閲的におもねるかのように、あろうことか文化庁は9月、同展への補助金交付を不可解なロジックで撤回。まさに作品公募中だったメディア芸術祭のブランディングにとっても、これは深刻なダメージになりかねない悪手だったと懸念した筆者は当時、宮田亮平長官と萩生田光一文部科学大臣宛に再考を促す意見書を提出した。本件はその後の2020年3月、申請者である愛知県側との交渉を経て減額のうえ交付される方針に軌道修正されたものの、この国の文化行政への不信を招いたことへの抗議の意は、改めてここに表明し直す。なぜなら、禍根を残した文化庁のこのやらかしをいかに挽回し、少しでもましな文化状況の回復に資せるかを、任期最後となる3年目の審査の何よりの優先基準に据えざるをえなかったからである。だから、第20回の『シン・ゴジラ』『Pokémon GO』、第22回の『チコちゃんに叱られる!』『TikTok』といった明白に社会現象レベルの話題作がなかった今回の受賞候補のなかで、筆者としては『amazarashi武道館公演『朗読演奏実験空間"新言語秩序"』』を、強く大賞に推した。SNSがもたらした相互検閲的な言論ディストピア状況を、楽曲の合間に朗読される短編小説できわめて直裁に諷刺し、公演に参加する観客たちをスマホアプリを駆使して架空の「検閲への抵抗運動」に見立てたこの世界観に最高賞を与えることができれば、あいちトリエンナーレの件への応答として、せめてもの自浄的なメッセージになると考えたためだ。が、力不足でこうした主張文脈への共感は呼べず、今回の主要候補で唯一、東京五輪2020の機運に即した作品だった『Shadows as Athletes』のローコンテクストでミニマリスティックな視点発見の映像美の方が審査委員多数の支持を集め、大賞に選ばれた。昨年の『チコちゃんに叱られる!』授賞阻止断念につづき、個人的には2年連続で一人推し負ける側になり、なんともくやしい......。くやしさついでに敷衍すれば、この授賞は2020年という時宜において、ジョージ・オーウェルとレニ・リーフェンシュタールの末裔が二択で競り、最後の最後で我々は後者を選んでしまったということでもあったのかもしれない(そして本当に2020年のオリンピックが「影」になってしまったのは、どこまで皮肉な顛末か......)。他方、都市と広告の関係をハックするかたちで移動体験のアジールを穿つ『移動を無料にnommoc』が初のソーシャル・インパクト賞を獲得したことも、エンターテインメントの未来を展望するうえで重要だろう。第21回審査講評で筆者はエンターテインメントが「日常生活に融けゆく」作用について指摘したが、その先に「現実そのものを組み換えていく」役割がますます強まっていく道筋が、本サービスや審査委員会推薦作品の数々には垣間見えるからだ。それが閉塞への抗いとなるか、はたまたディストピアのますますの強化を招くのか。そうした遊び手としての人間の本性を見つめ直すにあたり、まさかネオ東京五輪「中止」の予言までが現実化したこのタイミングで、芸能山城組を率いて「行動する文明批判」の実践を半世紀近く重ねる山城祥二氏を功労賞に選出できたことは、何よりの僥倖だった。
  • 森本 千絵
    日本
    今この時代に与える意味と価値
    私は初めて審査委員として参加しました。日頃は社会的影響力のある商業デザイン、コマーシャルなどを制作している立場から丁寧に拝見、体験させていただきました。それぞれの作品はジャンルもメッセージもマテリアルもまるで違うものだけれども、人を動かす力があるかを基準にしていました。審査委員は全員違うジャンルの猛獣のような方々で、意見もバラバラ、好みもバラバラ。とても白熱した躍動感ある審査会でした。そして、そんな私たちが唯一共通していたのは「新しさとは何なのだろうか。今この時代に与える意味と価値」を深く考えたことです。一見新しい手法に見えても、目的意識がどこか凡庸であったり、真逆でとてもアナログで懐かしい要素なのに視点が新しいものであったり。結果的に、我々の心が動いたものは、人の気持ちを置いてきぼりにしていない色気と魅力にあふれるものだったと思います。 私個人としては、メディアにおいて魅力的なものは、人の頰を赤く染めるような体温のあるもの、誰も言えてなかった言葉を代弁してくれる強いメッセージを持ったもの、新しい視点を教えてくれたことにより、この世の知らなかった魅力を再発見できるもの、我々の行く先は、もっと美しいものだと照らしてくれるものであって欲しい。とはいえ、その魅力を十分に発揮しているクオリティの高さも必要です。まさに「親しき仲にも、レベルあり」な世界だと思うのです。今回受賞された作品全すべて、今年受賞する意味のある宿命を持ったものだと思います。これらの作品がまた、新たな作品に出会わせてくれる力を発揮することを願っています。