23回 受賞作品マンガ部門Manga Division

大賞

優秀賞

ソーシャル・インパクト賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 表 智之
    北九州市漫画ミュージアム専門研究員
    変わり続ける文化庁メディア芸術祭
    メディアの変容とともにありようを変え続けるのがメディア芸術の宿命ならば、この文化庁メディア芸術祭もまたバージョンアップを繰り返すが必定。新設のソーシャル・インパクト賞だが、単に広く読まれただけでなく、マンガや社会を根本から変えるような衝撃を持った作品を評価すべきであろう。審査委員一同で熟慮の結果、真鍋昌平『闇金ウシジマくん』にお贈りした。丹念な取材で日本社会の生々しい実相に肉迫し、陰惨な出来事のなかに乾いたユーモアを織り込む巧みな語り口は、ほかに類を見ないものだ。読むと世界の見え方が変わる。まさにこの賞にふさわしい。マンガが子どものものだったのは昔のことで、日本のマンガ市場の大半が男女とも青年・大人向けの作品で占められるようになってずいぶん経つ。社会や人生の暗部をえぐり、読者の価値観を揺さぶるマンガもとみに増えてきた。「愉快」ではないかもしれないが、しかし一級の娯楽でもあって、そこがマンガという表現の懐の深さだ。今回の受賞ラインナップにも表れているとおりである。審査委員会推薦作品からひとつ挙げるなら、『KISS狂人、空を飛ぶ』。初期の代表作『宮本から君へ』が先ごろ実写映画となり話題を呼んだ、新井英樹である。新井の作品は常に、読者の心のデリケートな部分にズカズカと踏み込み、挑発する。大変居心地の悪い読書体験となるが、しかしその言葉も、絵も、ため息が出るほどに美しい。特に今作は鉛筆やパステルを使い、現実と妄想が交じり合うようで幻惑される。ぜひご一読を。文化庁メディア芸術祭創設の頃に比して、マンガの賞もずいぶん増えた。では本芸術祭の特色とは何か。ここでしか評価できない観点とは何か。ひとつには賞の区分を生かすこと。今回の新人賞はキャリアだけが基準でなく、率直で清新な、これからが楽しみな顔ぶれになったと思う。そしていまひとつ。大人向けのマンガだからできる挑戦をしっかりと受け止めることだと、私は考えている。
  • 川原 和子
    マンガエッセイスト
    ピュアネスからダークネスまで
    今回2年目となる審査は応募数こそ666作と昨年より200作以上減少したが、選考委員による予備選考をくぐり抜けた126作はハイレベルで、作品を読む喜びと評価する責任の重さを噛みしめながら臨んだ。大賞の『ロボ・サピエンス前史』は気が遠くなるような長い時間を洗練された絵柄で描き、壮大かつ圧巻の完成度。『鼻下長紳士回顧録』は性を通じて欲望の本質を見据え、スタイリッシュな画面構成で描き出し輝きを放つ一作。分かちがたく結びつく2人の俳優を描く『ダブル』は読み手をひき込む力がすさまじく、物語の序盤ながら審査委員一同の高い評価を獲得しての贈賞となった。自伝的な海外マンガの傑作『未来のアラブ人中東の子ども時代(1978-1984)』、40代女性の戸惑いを繊細に描いた『あした死ぬには、』と、優秀賞はテーマも表現もバラエティに富んだ秀作が揃った。『夢中さ、きみに。』は端正な絵柄と「そう来るか!」という意表を突く展開で新鮮な笑いを誘い、『花と頬』は瑞々しい描写で心の震えを見事に捉え、ともに新人賞にふさわしい清新さ。『大人になれば』は考え抜かれた粋な作品。自主制作や同人誌作の応募に門戸を開く本賞ならではの贈賞と言えよう。このような素晴らしい作品の応募がある一方で、この部門の応募数が昨年から大きく減っているのは寂しい。貴重な賞の存在を知ってもらう努力も必要かもしれない。新設されたソーシャル・インパクト賞には、時代の闇を描き出し、長期連載を完結させた『闇金ウシジマくん』が選出された。審査委員会推薦作品では作者の亡き父への愛憎が入り混じる『父のなくしもの』が特に心に残った。『やまとは恋のまほろば』のシビアなリアリティとときめく展開のバランスにも心惹かれた。ピュアネスからダークネスまで。目眩をおぼえそうなほどに幅広く、多種多様な魅力をもつマンガ作品の数々、贈賞を機にさらに多くの人の目に、そして心に触れてくれることを願う。
  • 倉田 よしみ
    マンガ家/大手前大学教授
    マンガの世界はBig Bang!!
    おもしろい作品ばかりだった。そして、選ばれたマンガ作品のなかからさらに良いものを選ぶのはなんと難しいことか。良いものは良いのだから、と思いながらも候補作品を読んでいった。読み終えたあと思ったことは、マンガを読み続けて60年近くなるのだがマンガの変化はとどまることを知らないということである。特筆したいのは『ゴッホ最後の3年』。デフォルメされたキャラクターとゴッホの絵画とのマッチングが素晴らしい。翻訳の素晴らしさも見逃せない。時々のゴッホの嬉しい気持ち苦しい気持ちを読者に伝え、何の苦労もなく読み進められるのは翻訳によるところが大きいだろう。美術館へ行き改めてゴッホの絵を観てみたいと思った。先にマンガの進化と言わず変化と書いたのは、10年20年いや50年前のマンガ作品でありながら今読んでもおもしろい作品はたくさんあるからだ。過去のマンガはすたれていくものであるがすたれるどころか今のマンガにも影響を与え続けている。ストーリーの構成、コマの割り方、構図の取り方、吹き出しの形......。マンガのあらゆる要素が変化して今に至っている。今回多くのマンガ作品を読んで強く感じたのは設定の変化である。時間を超え距離の測れない幅広い範囲に多様な設定で作品がある。いろいろな設定の作品が集まっているなかで気になり目を引く作品と言えば感情移入しやすくその世界に入り込める作品であろう。入り込みやすくするために作家は工夫を凝らしている。最終審査に残った作品はどれもがその世界に入っていけるように工夫しているものであった。大賞と優秀賞、優秀賞と推薦作品の差は微々たるもので満場一致で決まった作品はなく、それぞれの作品に対し意見が述べられ審査委員の総意によって決められた。審査会において各委員の意見を聞いていると共感する部分と、「えっ、そんな解釈を」と見どころ捉えどころが違う意見に新しい発見を得た。今回読んだ作品はひとつとして同じペンタッチ、同じストーリーの作品はなく全部違っていた。当たり前のことであるが、それがマンガなのだ。マンガ家が情熱をもって描いた作品を選考するのは大変であったが楽しくもあった。マンガは本当におもしろい。
  • 白井 弓子
    マンガ家
    「今」そして向こう側へ
    ここ何回か、人工知能やロボットに関わるマンガの受賞が目立つ。テーマ性の強い作品が入賞することが多いなかで、とりわけこの題材は、「人間とは何だろう、人間はどうあるべきなんだろう」という普遍的なテーマを直接描き出すことができるからかもしれない。とはいえ、それぞれに驚くほど異なっている。リアルな近未来社会を想定して細やかにシミュレーションしたもの(第21回優秀賞『AIの遺電子』山田胡瓜)、哲学的問いと科学的考察を下敷きに思い切りエンターテインメントしたもの(第22回大賞『ORIGIN』Boichi)、そして今回の、「新種人類」としてのロボットを寓話的に描いた『ロボ・サピエンス前史』、それぞれのやり方でそれぞれに何かを「極めている」マンガだった。AIやロボットについては日々技術がアップデートされていき、常識も年々覆されていく可能性が高い。だが『鉄腕アトム』から連なる名作とともに、マンガとして昇華された作品はそれぞれに「今」を刻み付け、同時にいつの時代にも通じる深いメッセージをもった作品として記憶されることだろう。加齢に伴うリアルな機微を描いた『あした死ぬには、』、書くことで自分と向き合い自立していく娼婦の物語『鼻下長紳士回顧録』など、女性の生き方に迫る作品も目立った。自費出版作品である『大人になれば』は内容がいいのはもちろんだが、同人誌即売会とはまた違う、SNSを通じて話題になっていくという現代らしい過程があり、それでいて紙の凝った造本であることもユニークだった。「今」の新しさとマンガの本としての連なりを同時に感じさせてくれた。また、今年度はソーシャル・インパクト賞が新設された。今までの賞ではすくいきれなかった、実際に社会に大きな影響を与え波紋を広げた作品を表彰できるようになった。その1回目の受賞作が、闇金融での取り立てという違法行為に携わる『闇金ウシジマくん』であることは、マンガのすごみを表しているのかもしれない。U-18賞も同じく増設されたが、マンガ部門からの受賞該当作は残念ながらなかった。マンガ部門こそ若い人たちが最も盛んに創作しているジャンルなはずので、今後生かしていっていただければと思う。過去2回もそうだったが、審査委員会推薦作品のなかにも最後まで賞を争った作品がいくつもある。ここまでくるとどの作品も個性豊かで甲乙つけがたく、わずかな事で結果が分かれた。気になったマンガはぜひ手に取って読んでいただきたい、心からそう願う。私の審査委員は3回目で、これで卒業だが、普段読めていないマンガの広い世界を感じ、一マンガ描きとしてむしろ勉強させていただいたとしか思えない。鋭い社会的テーマを扱った作品、軽やかで心おどる作品、心象に沈み込むような作品、作者の国籍も媒体もさまざま。そのなかで皆がマンガという手段を通じてさまざまな表現を試みておられて、「自分ももっといろいろな表現ができるのではないか」という勇気をもらった気がする。ただマンガはもっともっと広がりをもっていて、マンガの読書体験は一人ひとりにとって違い、それぞれに価値がある。アプリの縦スクロールマンガの更新を待ちながら1本、また1本と読んでいくわくわく感とか、SNSのタイムラインに流れる深刻な書き込みのあいまにふとやってくる育児マンガにキュンときたり、そういう作品を本にまとめて読んでもなかなかその良さに気付けないような気もする。今この時も、自分の知らないいろいろな形でのマンガが自分の知らない場所で生まれ、思いもよらない環境で読まれているのかもしれない。そんな「新しい可能性を拡張する」優れたマンガを、本芸術祭は評価できると信じている。
  • 西 炯子
    マンガ家
    長らくの「不信」の終焉
    私は、審査委員を務めさせていただくのは今年が2年目でしたが、去年と明らかに違う傾向を感じました。大賞に選ばれた、島田虎之介『ロボ・サピエンス前史』、私が選評を描かせていただきました、新人賞のイトイ圭『花と頬』同じく新人賞の和山やま『夢中さ、きみに。』。特にこの3作品において、私が顕著に感じたことがあります。それは、「企画の終焉」の気配。それから、「人同士の素朴な信頼」です。これらの作品が、まったく企画の要素なく描かれたものであるかはわかりません。しかし、私に「推したい」と感じさせたものは、作品の「出来」とは違うところから来ていると思います。それは「この描き手は私を、読み手を信頼している」という、素朴なよろこびです。現役の描き手である私が、久しく見失っていたものでもありました。長らく商業作家でいるということは、どこか読み手に対しての「不信」を心のベースにせざるをえないところがあります。それが工夫とバリエーションを生むのですが、先にあげました作品に触れて、「不信」は行き詰まるものだということをはっきり感じ、読み手への信頼で描かれた作品が企画を軽々と超えていくことに私は当然のよろこびを覚えたのです。通信の発達がもたらした、「いつでも繋がっていられるという孤独」のなかで生きている私たちが、心の底で痛切に欲していたのはこういうことなのだろうと思うのです。拍手ではなく、握手したくなる。そんな作品がみんな欲しかった。そこへの転換点が、振り返った時この回だったということになる、そんな気がします。