19回 アート部門 講評

審査を振り返って

今回初めて審査に参加した。メディアアートとはそもそも何なのかについて自分自身に問い続ける、想像以上に厳しい仕事だった。
自分は画家として作家活動を始め、絵画を時間のなかで展開させるために映像を使っている。だから、作品をつくることはそのままメディアとは何か、について考える作業でもある。しかしそれは、チューブ入りの油絵の具や、アクリル絵の具の開発によって、絵を描くスピードや、描かれる場所や内容が変わっていったように、画家が映像を使うのは自然な振る舞いだとも思っている。自分にとっての作品は、画家として映像のなかに「描いてしまったもの」としての何かでしかないという感覚が自分にはあって、それが結果的に、映像とは何か、についての探求になっていく。
だから、メディアそのものについての創造や思考を、あるいは人と人との新しい関係や、ものの見方の提示を引き受けようとするような「メディアアート」という言葉に重さを感じるのは、作品そのものというよりも、作品からはみ出してしまう部分の重さが問われるからだと思う。
なぜなら、表現をするということには、そもそも新しいものの見方や関係の探求が内在しているはずで、むしろそこからさらに反転するかのごとく、自分の表現の立ち位置を批評するような視点こそが必要となるのだろう。実際、そういう作品が大賞として選出されたと思う。創造の喜びがストレートに伝わる愛おしい幾つかの作品が選出されなかったのは、作品の良し悪しとは別の問題だったとも言える。
飯村隆彦氏が功労賞として選出されたのはとても重要なことのように感じる。時代を切り拓いたトップランナーであり、もっと早くこの賞を受賞されてしかるべき存在だった。彼の多くの作品がつくったのは、まさに豊かな人と人との繋がりや創造の土壌であり、作家としての生き様そのものが「メディアアート」とは何かについて多くの示唆を与えてくれる。

プロフィール
石田 尚志
画家/映像作家/多摩美術大学准教授