17回 受賞作品マンガ部門Manga Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • ヤマダ トモコ
    マンガ研究者
    私たちの日常に、これらの作品があってよかった
    長く連載が続くと、どんどん新鮮味が無くなったり画面が荒れていく作品も多い中、『ジョジョリオン』はむしろどんどん丁寧に新しくなっている。大ヒット作であり続けながらも、風変わりでエッジの効いたアートであり続けることの凄味を感じる。今回選考対象となった他の作品を読む際、一緒に読み返し、審査会に向かう時には最初から大賞に推すつもりで臨んだ。優秀賞の『昭和元禄落語心中』は、芸事の世界を描くと、どこか旧弊な感じがしても仕方ないと思っているところがあったことを、雲田作品の新鮮さによってむしろ気付かされた。『それでも町は廻っている』は、基本的に小さなエピソードの積み重ねなのに、1巻の頃から12巻を数える最新刊までずっと面白いままなのがすごい。『ちいさこべえ』は、お手伝いの「りつ」の作るご飯がおいしそうでおいしそうでたまらない。『ひきだしにテラリウム』は、たくさんの短い話に詰め込まれた発想力がやはり本当に素晴らしい。新人賞の『塩素の味』は、日本にはほとんどない全編カラー。色を使っての実験が小気味よい。『アリスと蔵六』は、かわいらしい絵柄のかなりハードなSFファンタジーだが、「蔵六」のまっとうさと、世界に飛び出したばかりの「紗名」の日々の発見にときめく。『夏休みの町』は、夏の明るい日差しが白めの画面から伝わってくる。中村公彦氏は、功労賞というにはまだお若いようにも思えるが、「創作同人誌展示即売会・コミティア」がマンガ創作に貢献してきた大きな成果を考えると贈賞が遅いくらいに思える。個人的には水城せとな(『脳内ポイズンベリー』が審査委員会推薦作品)は優秀賞、ONE(『ワンパンマン』が審査委員会推薦作品)は新人賞に入っていてもおかしくないと思う。複数連載を持つこれらの作家はノっている時期だけに、数作がノミネートされることによって票が割れた。今年は、全体に日々の積み重ねを大切に描く作品が多かったように思う。荒唐無稽な作品でも、その中の日常を大切に描いている。私たちの日常に、これらの作品があってよかった。そんな贈賞であった。
  • みなもと 太郎
    漫画家/マンガ研究家
    変化の潮流の中に垣間見えるマンガのパワー
    文化庁メディア芸術祭の審査委員を引き受けてわずか3年の間に、紙媒体でない携帯端末、ブログなどのネット配信マンガが大幅に増えて高齢の私をまごつかせた。それらは年々、マンガとしての発想までがさまざまな広がりを見せ、「果たしてマンガと呼ぶべきか、アニメーションの範疇に入れるべきでは......」といった、ボーダーレス化が勢い良く進行中であるという印象を持った。一方でこれまで通りの紙マンガも決して衰えることはなく、候補作はますます増えて、今年はついに最終審査直前まで読み切れず、私ももはや半分責任感半分意地で、銀座にあるメディア芸術祭の事務局に3日間通いつめて、ようやく全作品に目を通すことができた。これは私の年齢もあろうが、審査委員一人ひとりが候補作全部を見渡すことが限界に近づいているような気もするし、今後の課題でもあると思われた。それら膨大な作品群は、ジャンル的にはありとあらゆる職業や属性がトリビア的にマンガ化されており、" 学園もの"もかつては「野球部」くらいしかマンガにならなかったのだが、今や百花繚乱、書道であろうが茶道であろうが、どんな地味なクラブ活動でも臆すことなく描かれていく。ただ、それら多くの少年少女主人公はややブキッチョで、未開拓の才能が光り、いくつかのハードルを越えて成長し、ライバルが現れ、何らかの晴れ舞台に臨む......。そう、ビンボー臭さも無くなり、オシャレな展開を見せつつも、昭和『巨人の星』の目先を変えた21世紀版である場合が多く、「変わっていない部分は案外変わっていないのだな」という感慨も味わった。無論、それらと一線を画した新ジャンル、新感覚の作品も負けず劣らず数多く、紙数もないので賞を逸した作品だけから述べると、『巨人の星』ではない野球モノ『高校球児ザワさん』(三島衛理子)、コミカルだが真剣に啓蒙している『アステロイド・マイナーズ』(あさりよしとお)、文学界がショックを受けそうな『変身のニュース』(宮崎夏次系)、働く本気が見える『とろける鉄工所』(野村宗弘)らが私には素晴らしく感じられた。
  • すがや みつる
    マンガ家/京都精華大学教授
    ジャンルと表現の枠を越えるマンガの裾野
    本年度よりマンガ部門の審査を担当することになり、応募作品が集まる前から可能な限り多くの作品に目を通してきた。その過程で感じたことは、マンガの世界のロングテール化(インターネットを用いた物品販売の手法、または概念のひとつ。多品種少量販売によって、総体として売上げを大きくするもの)が加速していることだった。世間一般に認知されているのは一部のメガヒットだけで、他にも面白い作品があるはずなのだが、膨大な出版点数の中に紛れ込み、見つけにくくなっている。だからこそ、この文化庁メディア芸術祭のようなイベントが、読むべきマンガの指針としても重要となるのではないか。そのような意識を持って初の審査に臨んだが、大賞となった『ジョジョリオン』(荒木飛呂彦)は、まさに実績も充分なメガヒット作品で、「何を今さら......」という思いがあったのも事実である。だが、大賞に推すのなら、世界に通用する力を持った作品にしたいと考えていたこともあり、『ジョジョリオン』への贈賞に賛成した。今回の候補作中では、一頭地を抜く作品であるだけでなく、20年もの長期連載でありながら、表現の上でなおも進化を続けている点には、ただ敬服するしかない。大賞は全員一致に近い状態で決まったが、優秀賞は審査委員の推す作品が多岐にわたり、決定までに時間を要することになった。『ちいさこべえ』(望月ミネタロウ/原作:山本周五郎)は、時代小説の原作を本来の意味で換骨奪胎した下町の人情譚である。キャラクターは表情を変えず、動きもほとんどない。読んでいてじれったいのに、同時に心地よくもある不思議な作品である。セリフ優先の淡々とした描写は小津映画を思い起こさせた。『昭和元禄落語心中』(雲田はるこ)は、刑務所から出所した若者が落語家を目指す物語だが、主人公と師匠を巡る人間関係がドラマチックで、巻が進んでも飽きさせない。『ひきだしにテラリウム』(九井諒子)は、いまどき珍しいショートショート集で、一編ごとに絵柄を変えるなど実験精神にも富んでいる。同時に読者のマンガリテラシーが試される作品でもあるが、これもマンガには違いない。『それでも町は廻っている』(石黒正数)は、マンガとしての普遍的な面白さを持った作品で、もっと社会的に認知されていいのではないか。ギャグマンガでありながら短編小説の趣もあり、実に多彩な顔を見せてくれる。それは作者の芸の多彩さでもある。新人賞は、審査委員になる前から読んでいた町田洋の『夏休みの町』と、受賞には至らなかった『青いサイダー』を最初から推した。ウェブ雑誌に掲載された作品だが、縦スクロールしながら読むと、偶然だろうが、花火が錯視により回転して見えるという発見もあって楽しめた。『塩素の味』(バスティアン・ヴィヴェス/訳:原正人)は、「感覚」を楽しむマンガであろう。水泳部出身で、今も時々プール通いをしている身には、この透明感と浮遊感あふれる感覚は実によく分かる。ツンと鼻の奥を刺激するカルキ臭まで感じられるほどだ。しかし、ただそれだけで、何か物足りないような気分にもなる。『アリスと蔵六』(今井哲也)は、以前だったら壮絶なバトルものになりそうな題材だが、より身近なライトノベル的な世界に落とし込んでいる。面白いのだが、こぢんまりした印象で、でも、若い読者にはそれがいいのだろう。今年の受賞作品は、審査委員会推薦作品も含め、まさに百花繚乱の感があったが、意外だったのは、国内からの応募作にデジタルを意識した作品が少なかったことである。デジタル化された作品は、アニメーションやエンターテインメント部門に応募された可能性もあるが、海外からの応募作には、読者がタブレット端末を操作して絵を描くというインタラクティブな作品もあった。ここまで来るとマンガの定義についても再考しないといけないが、それもこのような開かれたマンガ賞の重要な役割ではなかろうか。
  • 斎藤 宣彦
    編集者/マンガ研究者
    独立した表現であるということ
    人は何を思い、想像してもよい。考えうるもの・想像できたものを、外に出してよい。言葉はもちろん、イメージを形にしてマンガや絵画や映画といった形態でexpressionするのは、自由だ。想像可能なものは、誰に遠慮することなくすべて描いて(表出して)よい。ただし「自由」は拡張すると他者の自由と衝突するので、その調整として、しきたりや法が存在する。マンガ表現においては、ツールやソフトウェア、ネット環境の発達が創作の多大な支援となってきている一方、取り巻く状況として、表現者を萎縮させるような事柄も数多い。しかし、再度私なりに素朴な原則論を述べるなら、表現物は、表現された途端に自立・独立しているべきものである。角度を変えて比喩的にいえば、表現は、表現されることによって救われるべきだ。
    さて、マンガ界では出版各社が設ける新人賞は数多いのだが、一般に開かれた賞は少ない。人気投票でなく、また国内・外、長・短編、雑誌・単行本・同人誌・ウェブなど発表の形態も問わないという「作品本位」の本賞は、門戸の広さという点で今後も重要性が増してゆくと思われる。本賞審査委員の仕事も二期目、本年度は副査を務めた。審査し選ぶことも「表現」である(結果的に表現になってしまう)という意識で臨んでいる。
    今年も、前年度より応募数が増え、審査には一段と力が入った。大賞選考においては、大賞の「器」を巡ってまず議論がなされ、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズの、後続の作品や文化面への影響、海外出版の成果なども検討されつつ、『ジョジョリオン』への贈賞となった。続いて優秀賞・新人賞にも力作・清新な作品が並んだ。審査過程では話題に出なかったが、これら8作品はすべて出版元が異なり、今も多くを占める「雑誌連載を単行本化」したのが5作、「ウェブ連載を単行本化」、「海外作品(描き下ろし)の邦訳」「ウェブ発表作」が各1作入賞し、日本マンガの、現在の発表のありようを象徴している。いくつかの話題作の応募がなかったのは残念だが、審査委員会推薦作品を含め、独立した表現として力強く、2013年の代表作と推し出すにふさわしいマンガが揃ったと思う。
  • 伊藤 剛
    マンガ評論家/東京工芸大学准教授
    マンガ表現の多様化とともに
    本年度のマンガ部門において、まず喜ぶべきは応募数の増加である。また、商業的に大きな成功を見たメジャー作品から、ごく個人的な作品までと、その幅においても大きな広がりを見せたことは大変喜ばしい。
    現在の日本において「マンガ」とはほぼ「物語マンガ」のことを指す。またこの範疇では商業的な成功と表現としての質の高さが矛盾しないことはよく知られている。そのことは現在のマンガ読者の「読み」の確かさ、審美的な健全さを示すものである。本年度の大賞贈賞はその反映ともいえる。ここでいう「物語マンガ」とは、長大なページ数を用い、多くの場合、長期間にわたる雑誌連載を基盤とし、複雑で多様な物語を語るものである。本年度の応募作品も多くはこの形式に相当する。また本賞に関心を持つ人々もまた、おそらく「マンガ=物語マンガ」という前提を共有していると思われる。だが広義の「マンガ」表現とはその限りのものではなく、もっと多様な形式を含むものである。本年度の応募作品は、その意味でも多様性に富んでいた。先述の「メジャー作品」とは「物語マンガ」であり、大量複製・流通を前提にした表現である。一方の「個人的な作品」には、大量複製を拒むようなハンドメイドなものなども含まれる。後者の場合、物語内容よりも「読む」行為そのものの体験を前面化させることもある。先述の「幅の広がり」とは、このようにも捉えられる。また本年度の審査過程において、応募作品を前にして「"マンガ"の範疇に含めてよいか」という議論が少なからず行われたことも、この豊かな「広がり」を更に具体的に示すエピソードであろう。
    「マンガ=物語マンガ」という枠組みは絶対のものではない。近年のマンガ研究では、これまでマンガ言説にとって主流とされてきたこの前提の相対化が進められている。本年度の応募状況と審査過程は、そうしたマンガを巡る知の潮流と呼応するものともいえよう。