20回 受賞作品アニメーション部門Animation Division

大賞

優秀賞

新人賞

審査委員会推薦作品

審査講評

  • 横田 正夫
    医学博士/博士(心理学)/日本大学教授
    多様な日本のアニメーション
    第20回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の審査は大変さのなかにも楽しさがあった。作品に対比してみるそこで作品に触れて感じたことを記してみたい。まず日本の作品は過去へのこだわりが強いということである。この傾向は今に始まったことではないが、より強まっているように見える。例えば、『君の名は。』では過去に起こってしまった大災害による被害を、過去にさかのぼって―あるいは当事者が未然に―食い止めようとする。『僕だけがいない街』では母が殺された現実を過去へさかのぼって食い止めようとする。『映画「聲の形」』では過去のいじめの加害体験と被害体験が現在に大きく影響していた。こうした過去へのこだわりがあるなかで、今の現実の描き方にも特徴がある。それはファンタジーのなかに入ってしまうというものである。例えば、『みつあみの神様』では、ひとりで住んでいる女の子が、住まいの身近なものが生き物のように語り始めるのを体験している。『ちえりとチェリー』では主人公のちえりが異世界に入り込んでしまう。あるいは描かれる世界そのものが異界になっているものもある。例えば、『甲鉄城のカバネリ』や『終物語』で描かれている世界がそれである。日常を描いたものもある。例えば、『劇場版響け!ユーフォニアム~北宇治吹奏楽部へようこそ~』では、吹奏楽部部員が努力して演奏がうまくなってゆくプロセスを追う。こうした作品群に触れてみると、日本のアニメーションは多様と感じるが、しかしそれらには共通したものもあると感じる。それは、心が大切であり、心の触れ合いが何よりも尊重されるべきであるという思想である。外国作品では、例えば、『THE EMPTY』では誰もいなくなった部屋に埃がたまってゆく様子で男女の関係の結末を暗示し、その一方で『父を探して』では個人が社会に出てそこで出会う出来事を描いて、人の一生を暗示する。こうしたと日本の作品の心の触れ合いへの尊重がより明らかであろう。
  • 森野 和馬
    映像作家/CGアーティスト
    アニメーション表現への期待
    今年度から審査委員として参加したが、応募作品の質と量には驚いた。特に短編アニメーションはさまざまな表現方法と、短い尺から30分近い尺まで559作品もの応募があった。本来、同じ土俵での審査が困難とも思えるので、評価するのは極めて難しい作業となった。しかし、それこそが本芸術祭の魅力であり、私としても刺激のある審査作業であった。主に、「ストーリー」「モーション」「芸術性」「斬新さ」「技術力」「インパクト」「感動」、これらの審査基準でこの難題に取り組んだ。総評として、非常にクオリティの高い作品が、プロ・アマ問わず集まった印象であった。これは、「技術力」の高さの表われであり、業界の未来への成長が見てとれた。しかし、「おっ」と唸るような輝きある作品は数が多くなく、「斬新さ」「インパクト」という面では物足りなさを感じた。見慣れた表現スタイル、「物語」の凡庸さ等が、理由に上げられる。芸術祭と謳うこのコンペに、新しいことへの挑戦が垣間見える作品が少ないのは、個人的には残念に思う。作品としては、新海誠の現代の感覚を織り交ぜた物語と、煌びやかな光と色彩豊かな表現の到達点でもある『君の名は。』、絵画のようなタッチが動きだす、アニメーションならではの魅力に溢れた『父を探して』が、印象的で完成度が高かった。国内外の学生からも、多くの作品の応募があった。大学などの積極的な人材育成が、実を結んでいるからであろう。しかし、大学によっては、比較的同じテイストの作品が見られたことは、気になる点であった。若さ溢れる破天荒で独自な表現に、今後は期待したい。最後に、受賞作品以外でも、選に漏れた作品にも素晴らしい作品があり、受賞しなくても価値ある作品が数多く存在したことをお伝えしたい。応募者は気落ちせず、自分の作品に自信と誇りを持っていただきたい。そして、さらに素晴らしい作品を、今後生み出してほしいと願う。
  • 西久保 瑞穂
    映像ディレクター
    映画とどう向き合うか
    アニメーションという表現媒体の多様さと面白さを再確認した審査だった。特に高密度で描かれた『君の名は。』と余白が多い『父を探して』はアニメーション映画として好対照の作品だ。大ヒットした『君の名は。』は、実写を超えた美しい美術、細やかな動きの作画、感情に訴えかける音楽、そして何よりもメリハリの効いた演出、と映画としての完成度が非常に高い作品だ。語り過ぎが気になるが、それも含めて日本のアニメーション映画の新スタンダードになった。一方、アヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリに輝いた『父を探して』は、対照的に情報量の少なさを生かした作品だ。キャラクターや美術の省略にとどまらず、ほぼ台詞もなく、なんの説明もないまま物語は進んでいく。すべては観ている私たちの想像に委ねられたまま映画は終わる。広々とした余白に私たち自身が何かを描かざるをえない映画だ。映画とどう向き合うかを考えさせられる作品である。テレビ作品も映像クオリティが高い作品が揃うなか、『モブサイコ100』と『終物語』の表現の自由さが目を引いた。テレビという媒体を考えると今後もこのような自由な発想の作品がつくられることを願いたい。短編作品では、毛糸玉の哀愁物語『A Love Story』が赤い糸ならぬ毛糸を巧みに操った喜怒哀楽の表現が素晴らしく、これこそアニメーションの醍醐味である。また野良犬の喧噪と団地の哀しみを描いた『Peripheria』、時計屋の人生を9分間に凝縮した『Ticking Away』も、その映像の奥にイメージを広げるアニメーション表現のよさを再認識させてくれた。ほかに審査委員会推薦作品となったイタリアのアニメーションドキュメンタリー『Somalia94 - The Ilaria Alpiaffair』が、世界に真摯に向き合う姿勢が素晴らしかった。今後この分野の作品の応募が増えることを望みたい。
  • 髙橋 良輔
    アニメーション監督
    ソーシャルメディアがネット世界を駆け巡る
    「今年は楽だな」と、いささか軽率だが審査が始まった2016年9月には思っていた。それは今年の応募作に『君の名は。』があったからである。この時点で私はまだ本作を見ていなかったが、実際に大阪のシネコンの平日午前中の上映に接し、記録的大ヒットの現実をこの目で確かめることができた。一連の審査会で『君の名は。』は終始大賞候補一番手と走り続け、結果もそのように決着した。が、いささかの議論がなかったわけではない。その中身を要約すると、①ストーリーに新鮮さを感じない。②今後この作品が新しいジャンルを開拓していく可能性を感じない。という2点であろうか。①において多少の解説を加えれば、『君の名は。』の源流は『時をかける少女』に行き着くのではないか。『時をかける少女』はジュブナイル小説の先がけとして1967年に筒井康隆によって書き起こされたもので、その後1983年に原田知世主演の実写作品から2007年(平成19年[第10回])文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞受賞の細田守作品まで複数作品を創出している。タイトルは違うが類型、亜流、似た設定の作品は数知れない。その中身はといえば、とあることをきっかけに時空を超えて若い男女が出会い、そしてある親しさもしくは淡い愛情を覚えたあたりで別れがきて、ひそやかな再会の期待で終わるという、一連のパターンを踏む。②においては、一個の作品として際立って高い技術力と表現力を持つが、かつての京都アニメーションが開拓したような新しい流れを日本のアニメーション界に開拓したとは思えない。というようなことである。以上述べたことは審査会でこのような議論がなされたということであり、結論としては審査に参加した全員の意見が作品の圧倒的完成度は堂々第20回メディア芸術祭アニメーション部門の大賞に値するというものであった。もうひとつ『君の名は。』においての考察を加えるならば、かつて"セカイ系"★1の旗手と言われていた新海誠監督がキャラクターデザインに田中将賀、作画監督に安藤雅司を迎え入れ、自作品にメジャー感を呼び寄せたのも大きかったであろう。今年度は大賞以外の受賞作品にも収穫が多く、劇場アニメーション『父を探して』はそれなりの人生の時を越えてきた審査委員たちの胸を熱くさせるものがあった。劇場アニメーション『映画「聲の形」』の山田尚子監督は一昨年の新人賞受賞者であり、その後の足取りの確かさと進歩に頼もしさを感じさせた。短編アニメーション『Among the black waves』のAnna BUDANOVAも一昨年の大賞受賞者であり、その芸術性の高さは数ある作品のなかでも抜きん出ていた。短編アニメーション『A Love Story』はその手法に審査委員全員が度肝を抜かれた。新人賞では、短編アニメーション『Rebellious』は、物語の題材にもミニチュア撮影にも若い感性を感じられ今後に大いに期待させられるものがあった。短編アニメーション『ムーム』は、現場キャリアは並々ならぬものを感じるが、作家としての出発にこれからの可能性を期待した。短編アニメーション『I Have Dreamed Of You So Much』は、作画が鋭く美しく、色彩感覚も際立つものがある。画面はシンプルながら隅々まで繊細な神経が行き渡っていて、1個の世界を創出している。功労賞においては、メディア芸術分野に貢献のあった方に贈呈するという観点から、飯塚正夫氏を選出した。贈賞理由は別頁(p.206)を見ていただきたい。最後に、今回の選考に当たって各作品の評価とは別にヒットの要因としてもしくはその証としての重要なファクターにソーシャルネットワークなるものの存在を強く感じさせられた。大賞の『君の名は。』の情報と評価が日本中に駆け巡った速さと威力というものは、もはや口コミだとか評判だとかの次元をはるかに超えていたと思う。
  • 木船 徳光
    アニメーション作家/IKIF+代表/東京造形大学教授
    長編アニメーションの年
    日程の関係等でエントリーされていない作品も含め、2016年は長編アニメーションの年だったと感じる。佳作、力作、傑作が揃った年だったので、大賞作品は長編にということは比較的スムースに決まった。そのすべてが応募されているわけではないのだが、審査に参加し、あらためて日本で公開された長編アニメーションの数に圧倒された。地デジ化の影響でテレビと映画の解像度の差がなくなったのも一因かと思うが、長編のアニメーションがこれだけ量産されている現状に少し恐怖を感じるところもある。が、しかし、量が質に転化した年だったのかもしれない。そのぶん短編アニメーションの影が若干薄くなった感もあるがアニメーションの多様性をより感じるのは短編作品だったし、新人賞もすべて短編アニメーションだった。3DCGにしてはいい動きだといった私の発言に、2Dの専門家のほかの審査委員から普通の動きに感じると言われ、デジタルで制作するのが普通になった現在ではすべての表現がフラットに評価されるようになったと、あらためて感じた。絵を描くことに鉛筆や筆が必要なようにアニメーション制作にはコンピュータが不可欠になったということで、それは世界中どこでもアニメーションが制作できるようになってきたということであるとも感じた。それぞれの国や地域ならではの表現であったり、ほかの国に影響されたもの、それこそ日本のアニメーションに影響された表現だったりするものが、世界中から集まってきていることもとてもおもしろかった。また、普段私が目にするメディアではないところ、プラネタリウムや演劇といったようなところでも、さまざまなアニメーションが上映されていることがわかったこともおもしろかった。日本のある個人作家がインターネットにない作品は存在しないことと同じだと言っていたが、エントリーされた作品の多くがインターネット上で観ることができるのも、なかにはダウンロードを許可している作品があることも興味深かった。